世界は称賛に値する

日記を書きます

木曜日の始まり

▼▼脳内に乗せられる単語量が決まっているなら、複雑なる意味をものすごく凝縮させた単語を使うことの価値は、わかりやすくありうるよなあと思う。なんていう単語で脳内を満たして、独りで狂躁しているような遊びが好きなので、難しい言葉好きーなところはもう排除できないかなと思う。確実ワガママですがここは遊び場であるって認識かな。
▼▼起床時刻は午前8時。勤務開始は午前11時。説明会のようなものがある。

読ませていただいてありがたく思っております。自分用インデックスニュース。

→ 「それを意識しながら、文句を言っているの話を聞けば、その人が何を見たがってるのか、何が好きなのか丸わかりで可愛いよって話」

→ 「経験したことのないものの記憶であると同時に、記憶が抜き取られてしまった経験でもあるようなもの。それは、要約したり理解したりするのではなく、作品が与えてくれたものの「等価物」を、それぞれの人が改めて発見すること(出会い直すこと)によって、経験し直されるしかないような何かだ」

→ 「自分と形式の異なる欲望は存在しないと思う人が多いみたいで、少し困ります。僕にだって食欲はある。みんなのそれとかたちが違うだけです」

→ 「小説を書いている、というと必ず訊かれる質問に答える。「どんな小説を書いているの?」「説明できる小説なら書く意味がありません」」

→ 「前にも書きましたが、例えば、合衆国憲法草案時に条文の「人間は誰もが幸福を追求する権利がある」といった時に、人間には、黒人は(もちろんアジア人も)入っていませんでした。これは、憲法草案会議で、論争になったので記録にも残っています。彼らにとって、黒人奴隷は家畜なので、人間には入らないだろう?いや、そうもいかないんじゃないか?と、議論になったのです。もちろん。結論は、人間ではない、でした」

→ 「キャンバスに塗布されたいくつかの色の斑点は、地下鉄を降りた時にたてつづけに出会ったいくつかの顔という根拠をもつ。しかし問題は、それを観た人がその根拠へと遡行することにはない。重要なのは、そこにある色の斑点に、何かは分からないが、色がそのように並んでいる根拠が何処かにあり、それらは正確にそう並んでいなければならない必然性によってそうある、と感じられることだろう。リアリティというのは、そういうことだろう」

→ 「こういう辛い体験、危機的な体験に遭った子供は、その状況を、心を閉じ込めたり遊離させるようなことでやり過ごす、そういうテクニック?を身に付けることがある、と(それがあまりに進んでしまうと離人症になったりするらしいのですが)。同じように、「死」という危機が身に迫ったとき、無意識にそのテクニックが発動してるのではないか?」