世界は称賛に値する

日記を書きます

金曜日の始まり

▼▼聞こえのいい言葉を掲げて目標に据えるのは正直なところ結構怖くて、避けるようにしているところもあるのだけど、油断するとよくやってしまってもいる。聞こえのいい言葉目標って抽象的な目標になることが多くて、達成条件不明な癖に、頭上に掲げるだけで誇らしげになって満足してしまいそうなところもあるからだ。けどまあ、認識していれば避けようのある欠点かなあ、とも思うので、避ける技術を獲得したいものだ、と最近は少し考える。▼▼聞こえのいい言葉のほうが燃料にしやすい、というのもあるかな。前向きな手垢は燃料にできることがある。漠然としているほうが進みやすいこともある。
▼▼連想して思った。恋っていうのは「聞こえのよい言葉」の集大成みたいなところあるかもなー、と思った。▼▼聞こえのよい言葉化していくことによる盲目性とか言える。

昨日読ませていただいた記録しておきたい言葉達ニュースです! 備忘録の始まり。

→ 「さて、この人生ゲームの中で小説にできることはなんでしょうか。「文学」コミュニティの中で、ランキング上位になることでしょうか? いつ終わるとも知れないメタゲームの現時点での覇者になることでしょうか? 違います。必要なのは、政治ゲーム・経済ゲーム(下部構造)に役立つ小説(上部構造)です。政治ゲーム・経済ゲームなんてどうでもいいと思えるくらい、没頭できるメタゲーム(思想・哲学)を書いた小説も、ある意味役立つでしょう」

→ 「(しかしまぁ、近頃は、まったく脳科学である。哲学の人なんかはちょっと頭を休めて最新の脳科学の状況を確認し、いったん全部リセットしてからあらためて考え直した方がよいのではないかと思う。それぐらい、哲学の過去の"成果"を無効化するようなものが多い)」

→ 「今まで読んだSFのどれにも、だいたい人間は人間のままで、だいたい身体はあるし、姿かたちが多少変わっていても精神構造はわたしたちとほとんど変わらないままでした。イーガンは、身体も、精神構造も、何もかも思うがままだ、と価値観をガンガンぶち壊していく」

→ 「贅肉を削ぎ落としたい。思考から。生活から。そして、しなやかに強くなる。雪を払い跳ね上がる枝のように」

→ 「もし、何か状況が変われば、エベレストに登ろうと思うかもしれない、その可能性はゼロではない、と思っていたい。それがたぶん人間に可能な範囲の精神の自由というものでしょう」