▼▼聞こえのいい言葉を掲げて目標に据えるのは正直なところ結構怖くて、避けるようにしているところもあるのだけど、油断するとよくやってしまってもいる。聞こえのいい言葉目標って抽象的な目標になることが多くて、達成条件不明な癖に、頭上に掲げるだけで誇らしげになって満足してしまいそうなところもあるからだ。けどまあ、認識していれば避けようのある欠点かなあ、とも思うので、避ける技術を獲得したいものだ、と最近は少し考える。▼▼聞こえのいい言葉のほうが燃料にしやすい、というのもあるかな。前向きな手垢は燃料にできることがある。漠然としているほうが進みやすいこともある。
▼▼連想して思った。恋っていうのは「聞こえのよい言葉」の集大成みたいなところあるかもなー、と思った。▼▼聞こえのよい言葉化していくことによる盲目性とか言える。
昨日読ませていただいた記録しておきたい言葉達ニュースです! 備忘録の始まり。
→ 「贅肉を削ぎ落としたい。思考から。生活から。そして、しなやかに強くなる。雪を払い跳ね上がる枝のように」
→ 「もし、何か状況が変われば、エベレストに登ろうと思うかもしれない、その可能性はゼロではない、と思っていたい。それがたぶん人間に可能な範囲の精神の自由というものでしょう」