世界は称賛に値する

日記を書きます

月曜日の始まり

▼▼責任や罪というのは「同じような場面」で「同じような行為」を「繰り返さない」ための概念なのだろう、と考えている。▼▼なので、同じ場面で同じ行為を繰り返さないようにすること、と、人生や人間、との関係を丁寧に考えてみたいかな、なんて思った。最初に思った。精神側に敷衍したところの「責任感」や「罪悪感」っていうのも、だから同じ問題を解決したり解消したりするための「感覚」や「感情」なのかな? っていうのも続けて思った。同じ場面も同じ行為もありうるの? みたいなことも考えてしまった。同じって何やねん、というかな。同じと認知してしまうこと。繰り返しと思えること。
▼▼起床時刻は午前5時。勤務開始は午前9時。新幹線で会議に向かう予定がある。

読ませていただき至極光栄ですとさえ思えるほど読ませていただいています。記録。

→ 「高田氏の一貫した姿勢は「あなたは偉そうなことをいっているけれど、そういうあなた自身はどうなの?」というもので、当然そういう問いは自分に帰ってくる。だから氏の論ではつねに「あ、偉そうなこと言っちゃったけど、ごめんなさい。わたしにはそんなことを言う資格はないことはよくわかって言ってるんです」という韜晦がついてまわる。 いやらしいといえばいやらしいし、自己言及という知的な作業といえばいえるのだが、本当はひとりで掛け合い漫才をしているようなもので、「どうせあなたもわたしもチョボチョボのものではないか、ほなさいなら」という乗りなのだと思う」

→ 「戦士と白魔導師と黒魔導師のパーティは3人とも健在なら最強だ。しかし、一人倒れると一瞬で崩れる。赤魔導師3人のパーティは弱いが、一人倒れてもそんなに変わらない。この間のどこがいいのかはむつかしい問題だ。プログラマは何を学ぶべきなのだろう」

→ 「実際のところ「女子力」という概念が俺にはよくわからない。かりにそれが「女らしさ」の今日的表現であるのだとしたら、それは必ずしも男性だけを意識したものではないに違いない。ただ、どうなんだろう、その価値基準に「男性の視線」というものがまるで介在しないときに、はたして女子力というものはそもそも存在しうるのだろうか」

→ 「俺くらい逃避願望が強くてすら、なお仕事には楽しい部分が残されている。ならばほかの人にとってはどうなのか。 時間を奪われて、拘束されるのは、仕事である以上、しかたない。ならば、どうやってその時間を楽しく過ごせるかが勝負だ。楽しければ、人のモチベーションは必然的に上がる。ではなにを楽しみとすべきなのか。そりゃ仕事だろー、仕事しに来てんだから。 ここを起点にした」