世界は称賛に値する

日記を書きます

日曜日の始まり

▼▼送別会と誕生会を兼ねる飲み会が昨夜開かれていて、軽く顔を出した。ので、いくらか寝不足だ。理解できた時にこぼれる笑いが好きだなあ、とか最近は思う。思った。話を聞いて、理解できて納得できて、すごいなあ、って笑える時の心境が好きだ。沢山人の話が聞きたい。なんて最近は飲み会等で思う。肯定的にも否定的にも思う。とか書いてたら狭量の匂いがしてきたので停止。増幅装置にはしてよいけど否定材料にはしちゃ駄目。
▼▼起床時刻は午前7時。勤務開始は午前9時。異動直前の人と最後一緒に働く日だ。

昨日はあまり読めなかったが感銘は受けました。自分的にすごかった言葉ニュース。

→ 「絶望しやすい人は、結構他人の自己欺瞞に参る。君を尊重しているよと言いながら、そしてそう本人も思い込みながら、その実自分のことなんてまったくリスペクトしてくれていない他人の本性に参る」

→ 「Rioの演技法はすごくいいって言ってたよね。「Rioは死に間を作らない」って」「作らないんですよ。全部の間に意味があるんですよ」

→ 「ところで、僕がこの書物/ 作品を見て考えたことはもうひとつある。それは、もし台詞もなく舞台背景もなくただ登場人物のポーズだけでも物語が成立するものならば、逆に、たとえば舞台背景だけしかなくても物語が成立するということはありえるだろうか、ということだ。もっといえば、ただそこに空間があるだけで物語をつくるということは可能なのだろうか?」

→ 「それまで真核生物と真正細菌という二つに大別されていた「生物」が、真核生物、真正細菌、古細菌の3つに分けられるようになりました。つまり、いきなりひとつ増えたんです。増えちゃったんですよ。 さらに著者はどんどん目を凝らしていきます。そして目を凝らせば凝らした分だけ、生物がどんどん発見されていきます」