▼▼死にはしないから問題なかろ、と判断してみせる覚悟というか「言い聞かせ」が、浅はかで温い認識であることは当然あるだろう、って思うのだけど、想定されている状況が実際に「払拭されてしまう」ものなのであれば、無駄な「言い聞かせ」ってわけでもないわけで、不満とか文句とかをぶつけるほど悪くないっていうか、浅はかで温いから駄目駄目だよー、って文句を自動構成してしまうのも違うか、って思ったりもする。浅はかな精神操作でもないよりはよい、ので──のだけど、逆を言うと、浅はかでも精神操作されてしまう、ってことなので、効果に疑いがあまりない分、望んでいるものを精緻に踏まえて振るわないと、足下掬われて転ぶぜ?って思うのだった。問題設定混乱中だなー。精神やら感情やらにはいろいろ対応できるので、するぜって思うけど、甘えるなって話だ。
▼▼起床時刻は午前7時。勤務開始は午前9時。時間がないのでこのあたりで。
■以下はお気に入りの言葉達で備忘録として記録したくなったものです。
→ 「そもそも私欲がないために進んで善を為せる人のことを「聖人君子」と呼びますけど、自分の人並み以上の欲望を意志の力で抑えつけてあえて善を為すタイプの人は何と呼ぶとしっくりきますかのう」
→ 「抽象化は面倒だ。回りくどくなる。けれども、一旦抽象化してしまえば、後が楽になる。僕はそれが好きだ。今日も、抽象化できないものを、なんとか抽象化できないかと、考えている」
→ 「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う(映画監督: 小津安二郎)」
→ 「けれどおそらくこれは「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問い同様、何らかの誤った前提から出てきている発言であり、明確な回答や反論を引き出すことができない類のものなのではないかと思います」