世界は称賛に値する

日記を書きます

意識化によって顕現する癖は無意識化に置かれそうで、どうしよっかの話

▼明確に意識することによって顕現してしまうような癖や偏り、というのがあるんだとは思う。でもって、繊細な動作を邪魔しがちなんだとも思う。意識すると駄目になる、って形態のものは結構多いように見えるからだ。でも、活用する道もあるだろ、とか、期待混じりで信じてはいる。いるのだけど、現段階では少ない、のは間違いあるまい、とも思うのだ。というか、まあ、難しいんだろうなあ、って想像していたりする感じだ。構造が複雑で理解が難しくておかげで実践にも繋げにくくて、結局習得できていないだけか、とか思っているところはある。対象を意識すると出てくる、なんて言えるようなものは、つまり、構成的にというか原理的にというか――形状とか環境から言って、意識化できそうにないな、とは思えるからだ。なんて印象はある。可能だとしても、簡単ではあるまい。同時に、構造を見誤っている可能性も想像してはいる。難しく考えすぎかも、ということも想像してはいる。比喩で考えているだけだからなあ、とはいつだって思えるからだ。