世界は称賛に値する

日記を書きます

信じている概念を整理する

▼概念を整理しよう、と思った。信じている、という表現が意味するものの一つに『世界観に組み込まれている』という状態があるのではないかと思う。正確に言うなら、私がそう表現してしまうことがある。世界観に組み込まれている、とはどういうことか。簡単に言うなら、咄嗟の場合に――無意識的に――反射的に――瞬間的に――それを感じてしまう、ということだ。つまり、瞬間的に何故かそう感じてしまうこと、の背景にあるもののことを『世界観』と呼んでいて、その世界観に組み込まれていることを『信じている』と称してしまうことがあるのだ。▼だから、死者を前にしてなんとなく静謐な気持ちなんかを感じてしまうような人は、死者の魂だとかそういう『死後の世界的なもの』を『世界観に組み込んでいる――信じている』と表現できるし、稀有な偶然なんかに幸運や喜びを感じてしまうような人は『運命や世界の意志的なもの』を『世界観に組み込んでいる――信じている』と表現できるのだと思う。▼この『信じている』は『覚悟と責任を持って決意したものとしての信念』とは違うわけだ。意識的に信じている、のとは違う。信じているとか信念とかいう言葉に二つの意味を与えてしまっているわけで、もうちょっとわかりやすくしようかな、と思った。実際問題どっちの意味でも使われているんだよな。