世界は称賛に値する

日記を書きます

童貞物語(佐藤正午)

《★★★》

童貞物語 (集英社文庫)

童貞物語 (集英社文庫)

「彼女の喋ることが理解できないんだ。短大へ進む話や、この街を出たいという話や。聞いてるうちについ自分じしんのことを考えてしまう。いまは誰と一緒にいてもそうだ。相手の話をどんなふうに聞いて理解していいのかわからない。正太郎先生のいう立場が、ぼくにはないんだよ。だから自分が何をどんなふうに見て、どう考えるかもうまく伝えられない。彼女を好きなんだけど、どんなふうに言葉にしていいのか見当もつかない。わかるかい?」
「いや」
「のろは決めてるからな。自分の立場が固まってるから、好きなら好きと堂々と言えるわけだ。いつまでもくよくよ迷ってるのは似合わないよ。それはぼくの仕事で、眼の前の問題を一つ一つはっきり片付けていくのがのろのやり方だよ。小林は余計なお節介をする相手をまちがえたんだ」
「海藤……」
 とぼくは相手の名を呼んだだけで、先を続ける言葉につまった。ぼくには海藤が喋ることがよく呑みこめなかった。迷いながら一歩を踏み出すことがぼくにできて、どうして彼にはできないのか。しかしそれを訊ねられない。話し合うための、心を開いて語り合うための最初の一言を切り出すことさえためらってしまう。海藤が腕時計を見た。ぼくが言った。
「小林とは仲なおりしたんだろ?」
――P.257

▼勢いで読み切ってしまった。勢いで読破するはひさしぶりだな、と思った。が、派手で重厚な愉快を感じていたわけではなかったように思う。勢いは淡いものだった。淡々と持続していたのだった。相変わらず佐藤正午氏の小説は好きだと思えていて、けれど、恋愛が絡まないとわくわくは多少減退してしまう。だから、物語の後半部が特に楽しめた。友情と受験と恋愛と野球。青春の定義はまだ曖昧だったりするのだけど、胸に覚えるものが確実にあって、だから、的確な問いをばしばしぶつけていって、胸中に存在している『青春』というものの形をはっきりさせたい、なんて考えてしまった。青春小説は好きだ。