世界は称賛に値する

日記を書きます

貴様の自己欺瞞を暴いてやるぜ、とか思うときの気持ち

▼こっちは欺瞞に気づいてしまうから自分を騙すなんて選択肢は選べなくて苦労しているのにそっちはそれを選んでいてずるい。こちらに責任があるかのような解釈で自分の判断を騙して自己正当化を図るのは迷惑だからやめてくれ。単純に自己欺瞞は醜くて見ているのが嫌だ。という三つの感情が想像できた。三つ目の裏返しで、おのれの自己欺瞞に気づけている人間の行動や理念は美しいことが多いからもっとそっちを見せてくれ、というものも想像できるか。さらに連想を続けることもできた。幸せを願う相手に対する「だけど自己欺瞞はあなたを幸せにしないからそれを捨ててくれないか」という願いだ。統合しなければ五つ、か。▼誰かの自己欺瞞思考を見つけて、こちらは欺瞞の存在に気づいているが、そちらは欺瞞の存在に気づいていない、と判断したときに、なぜかその判断を『指摘したい』という気持ちに繋げてしまう感情がある、と結論した。ので、思考や記憶を掘り起こして、どういった感情がそれになりうるのか、ということを考えてみたのだった。