世界は称賛に値する

日記を書きます

よいお年をの外側

▼▼よいお年を、と伝えても、よい年を迎えられるかどうかは不明だ。言ったところで無意味だ、無駄だ、特に変わらないだろう、という判断は、ありうる。とはいえ、何を思うか、何を言うか、が、この世に与える影響なんて、無である、といった判断もまた、やっぱり極端で、おかしなものではあるかと思う。言ったこと思ったことによって世界は普通に変化するはず。だからつまり言ったほうがよい、って思いたくもなるのだけれど、この判断もまた、極端で浅慮なものではあるだろう。言ったほうがよいかは当然ながら場合による。ケースバイケースだ。簡単に変化させられるであろうもの──そう簡単には変化させられないもの、の線引きが、あるはずであり、ここにある境界線を、意識し、重視してゆく、といったやりかたを選ぶこともまた、妥当だ。人生の指針として、あってよい。簡単に変化させられそう/簡単には変化させられないだろう、という判断は、時に的確かつ適切で、時に勘違いであり、明確な判断なんてなく、判りやすい答えすらない。知性も情熱も絡むし、偶然も運命も絡む。結局のところ、判断ミスがありうる。というふうに、判断の誤謬と瑕疵を見つめ、線引きの曖昧さも見つめ、対処しきれないとしか思えない「変化させられないであろう」もの、に対し、しかしそれでも期待する、しかしそれでも行動する、というような場面が、人間および人生には、あって、このあたりの気持ちや動きのことを、祈り、とか、願い、とか、あるいは、勇気とか真摯とか、言ったりする。言ったりもする。美しいものを見つめるかのように目を細めていることがある。微笑んでいる時が確かにある。
▼▼決して人の手の届かないであろうところの事柄に対し、強靱な覚悟と決意のもと、なんとか手を伸ばそうとすること──してみせること。というのを、祈りとか願いとか、呼びたくなる、んだけど、でも──でも、このあたりに、祈りや願い、といった言葉の「重心」を置かない意志や認識も、実のところ、好きな気は、している。なんというか、人と世界の構造が創り出している「外側」のことを、祈りや願い、の定義に絡めないのも、非常に好きである。というか、どちらも重なりあっているようなもの、重ね合わせているようなもの、が、好きかもだ。外側を見つめた(見つめられない)想いと、外側を見つめない(見つめないと決めた)想いを、同時に頭と胸に思い描き、混ぜ合わせている、ような気持ちが、好きだ、って思っているところがある。▼▼ので、「よいお年を!」の背後にこういった混ぜ合わせを置いておけたらよいな、って思った。

アブストラクトゲームの定義の曖昧

▼▼アナログゲームにおいて、乱数要素がないことと隠匿情報がないことが「アブストラクト」という分類の基準ではないはずであり、真っ当に見るなら、抽象的であることが基準であるはずなのだけど、抽象的なアナログゲームが「乱数要素をあまり持たず」「隠匿情報をあまり持たなかった」せいで、基準が置き換わってしまった気配がある。勘違いと混乱の風味がある分類習慣が出来てしまっている。▼▼というのが、まあなんとなく気になって、まあなんとなく嫌で、別の呼び名、ないのかな、って考えている時があったりもする。
▼▼無いことが基準か、少なければよいあたりが基準か、というところにも、混乱があるかと思う。0と1では大違いと言えるし、当然、0と0.000000000000001でも、まったく別である。というような混乱があって、結局、線引きがなかなか曖昧になっている。▼▼抽象性の濃淡もよく判らないしなあ。将棋やチェスの駒はいちおう意味合いがあって、とはいえ抽象的ではあり、囲碁やオセロの駒は、抽象性マックスなのは間違いなく、意味を解釈可能かもあやしい。だから囲碁やオセロのほうが「アブストラクト」と言ってよい? というか厳密に言うならば、「多少の抽象性」は、如何なるアナログゲームだろうと持っているはずのものであり(現物でないわけで、若干は、抽象化されている)、ぜんぶがぜんぶアブストラクトだ、とも言うことは、いちおう可能、なのだよな……。▼▼といった段階で「抽象度が比較的高いほうのものである」というのが基準になってしまっているのだから、乱数要素や隠匿情報の有無や濃淡にまつわるところの定義がぼんやりしてしまっているのも、多少はしょうがないじゃん、というか、突き詰めるのは無理じゃん、ってことが言えたりは、するのかな。しそうだな。


▼▼うまい言い回し、うまい使いかた、はないものかなあ、と、けっこう継続的に考えてしまっている。まだ考えると思う。まだ気になってしまうと思う。来年というか今後に向けて一回文章として書いておいた。

緻密でゆっくり、散漫か概要で素早く

▼▼無駄なほど緻密に描写することにより時間をゆっくり進めることが出来て、おおまかなところを抽出して描くかのように省略を駆使することにより時間を素早く進めることが出来る、といった理解があって、描写におけるズーム、遠近感や距離感、によって、時間の早さ遅さをコントロールできるのだ、とか思っているところがあるのだけど、ここでコントロールされているものって「時間」なのか? と、改めて思ったりした。
▼▼あと、アクションシーンを描く時に、短文で、ぽんぽんぽん、と、テンポよく言葉を進めることによって、アクション感を強めることができる、というやりかたのことも思うことがあるのだけど、このやりかたって「緻密さをいくらか推し進めている」やりかたでありながら「素早さを強めている」感覚がないか?とも思った。

言う

▼▼言う、っていう動詞、実際の行動に対して抱く感触と、言葉が想起させてくれる感覚に、かなり乖離があるなあ、って思った、というか、実際に「口から言葉を出している」状況の時に、言う、っていう言葉が似合う行動をしていると思えることって、あんまりないな(時々はある──「言う」をしている時が、時々はあって、口から言葉を出していても「言う」ではない気がすることが、わりとある)、なんてふうに思いついて、思いついてから、前述したような認識のもとで、小説描写における「と言った」とかを眺めると面白いな、って思った。

ミーハーも人類や人生に益するとよい

▼▼ミーハー精神。ミーハー行動。丁寧で真面目な判断や決意や覚悟などがなく、まわりの雰囲気や言葉に踊らされるようにして、流され、主体性もなく、知ったかぶりのような粗雑で浅薄で不確かな知識と認識で、活動している、っていうような状況に関して、駄目じゃん? とおおまかに思ってしまっていることが多かったのだけど──思考を開始した瞬間に「ミーハーもアリな場面がこことここにあるじゃん、と思い至れていなかった」ことが多かったのだけど、相性によるか……、場合によるか……、ミーハーが適する瞬間もあるんじゃないか、と、改めて思い直した。疑問文を立て直した。おおむね駄目そう、という観念が強すぎるのよくないぞ、って思った。
▼▼ミーハーであることが最適である、と思える場面って、やはり、あんまりないように思えてしまっているのだけど、まるでない、と思ってしまうのは、早とちりだろう──早計だろう、って再認識したのであった。▼▼ミーハーであることが人類や人生に適さないことはまあまあ多そうだ、とか思っているところはあって、なぜそう思っているんだろうか、とも思った。深く納得し、きめ細かく理解し、決意と覚悟のもとで行動する、ということが、人生や人類に、益しそうだ、って予感と信仰が、かなりあるわけだけど、少々ありすぎでは?


▼▼ミーハーって言葉が死語化してないのってけっこう凄いんじゃない?というのも、ほぼ無関係ながら思った。
(明確に死語化しているのに気づいてないだけかもだけど……)(ミーハーという言葉の見た目的な意味不明さが生き残りをうながしているんだろうか……)(ミーハーという言葉が示している現象が、話題にしやすいものであるがゆえに単語が用いられやすい、とか、問題視されやすいがゆえに単語が用いられやすい、とかもありそう……)

アズールで遊んだ(白色ボードゲーム会)

白色ボードゲーム会

アズール(初プレイ)

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▼▼幸運にも買うことができた!という雰囲気のある『アズール』で今日は遊んだ。ドイツで開催された新作発表会の出口調査で三位を獲得した話題作である。アブストラクトゲームと言える。完全情報公開型であり、運要素少なめで、テーマやフレーバーの抽象性が濃い、時に、アブストラクト、という分類で呼ばれることが多くなる。三人で遊んだ。
▼▼百個の見目麗しいタイルをふくろの中に詰め込んでから、いくつかの「ファクトリーディスプレイ」と呼ばれるエリアに、四つずつ、ランダムに、置いてゆく(ファクトリーディスプレイの数はプレイ人数で変わる)。おのおのが手番で行なうのは「ファクトリーディスプレイの上のタイルを『一種類すべて』取って、残りを、真ん中の「何もないエリア」に置く」というアクションだ。タイルが真ん中のエリアに置かれたあとは、真ん中から「一種類すべて」取ることもできるようになる。▼▼というような形式でタイルの奪い合いを行なって、取ったタイルをじぶんの個人ボード上に配置し、上限いっぱいまで配置されたタイルを(上限いっぱいまで配置できた時だけ)、勝利点が獲得できる側に、移動させる、というのが、おおまかなゲームの流れになる。▼▼勝利点が獲得できる側に移動させた時に、置いたタイルに隣接するタイルがあれば、勝利点が貰えるし、最終的なタイルの配置によってもボーナス勝利点が貰えたりする。
▼▼置く場所が限られていて、沢山取ればよいということでもないし、置けば置くほど置けなくなっていくというルールもあって、ジレンマが生まれる。一回置いたタイルの列には同じ種類のタイルは置けなくなる、というルールも、うまく利いている。流石は人気投票三位、という気持ちで眺めながら遊んだ。非常に好きな雰囲気である。
──最大【10】点中、幅としては【5~9】の雰囲気があって、現状の重心は【8】だ。