世界は称賛に値する

日記を書きます

4人の容疑者、テラフォーミングマーズ、楽園の方舟、航海の時代(拡張)、ダイスエイジ、で遊んだ

緑色ボードゲーム会

▼▼軽いゲームと重いゲームという言い回しがあって、判定条件や境界条件が若干曖昧なので、疎まれがちな言い回しかとも思っているのだけど、とはいえ、言われた時にまるで理解や想像ができないほどの言い回しってことでもないかなとは思っていて、困ってしまうほど解釈や判断がブレてしまう曖昧さでもないのでは、とも思うところはあるので、現状では、利用していることも間々ある。
▼▼ということを踏まえてみると、いつか、じぶんが、軽さと重さの判定や解釈の基準がまったく異なる人物と出会い、軽い重いについての話がぜんぜん通じず、ぼくにとってはこうなんですけど! と互いに罵り合うようなことになったら──つまり「ぼくが困ったら」、なるほど、こういう言い回しを推奨ないし黙認してるのは、マズイんすね、と思い始めたり言い始めたりはするんだろうな、と思えたりもした。
▼▼線引きが雑で主観的で曖昧である、といった状況が見せる問題は、結局、好き勝手なことが言えすぎて、相手の、言っていること、言えること、の幅がおおきくなりすぎてしまい、判断や解釈が難しくなりすぎる、ということにあるんだな、と、最近ようやく、構造を理解しきれたところがあったりした。▼▼普段から「境界線が緩いの駄目ー!」とか言ってくれている人は、普段からこのあたりのことを意識し、問題視していてい、予防しようとしてくれているんだな……、と理解できた。
▼▼でもまあ、言語はそもそもこういう問題を持っているよなあ、とも思った、し、最初からこういう問題がありうる以上、あること自体は問題ではなく、修正できないこと、コミュニケートの中で随時直していけないこと、のほうを、問題視すべきなのか、とも思うは思うのだった。指摘を受けた時に改善しようと思える、という機能が並置されているなら気にしなくてよい、的な雰囲気。並置されていない場合は別対策の立案を検討。


▼▼前置きをあまり踏まえらていないかとは思うのだけど、重めのボードゲームで遊びましょう、という呼びかけのもと、今回は集まった。▼▼『4人の容疑者』→『テラフォーミングマーズ』→『楽園の方舟』→『航海の時代 拡張入り』→『ダイスエイジ』という順番で遊んだ。『テラフォーミングマーズ』が想像より長くなって時間が不足した。遊び足りなかった。また遊ぶ。


4人の容疑者 湯けむりに消えた謎(プレイ二回目)

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▼▼16枚のうち除外した1枚を推理するゲーム。質問とメモに工夫が要ることの魅力が着実に理解できてきた。経験者優位が増す気もするけれど。
──最大10点中、5~8くらいの幅がありそうで、現状7点に重心。






テラフォーミングマーズ

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▼▼企業を担当して火星を開拓してゆく。世界的なランキングでもけっこう上位で、見合うほど嵌まっている。企業能力を使いこなせるところまで頑張りたい。
──最大10点中、5~10くらいの幅がありそうで、現状9点に重心。






楽園の方舟(初プレイ)

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▼▼やっと遊べた。沈みゆく島から方舟で資源を運び出す。アクションを決めるコマの動かしかたが面白い。得点システムも判りやすさと気持ちよさが高くて非常に好きだった。
──最大10点中、5~8くらいの幅がありそうで、現状7点に重心。






航海の時代 拡張入り(拡張は初プレイ・プレイ二回目)

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▼▼島々をぐるぐる回りながら資源をやりくりし、島に投資し、投資した島からさらに資源を貰って、と繰り返す。パズル的効率が楽しい。拡張がよい拡張感あって素敵だった。
──最大10点中、5~8くらいの幅がありそうで、現状7点に重心。






ダイスエイジ(プレイ二回目)

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▼▼サイコロが部族の戦士となり、狩りに出かけている。向かう狩り場は「出目」に左右される。気持ちよさが全体的に程よくて遊びやすい。得点が高めになることも素敵だし。
──最大10点中、5~8くらいの幅がありそうで、現状7点に重心。



4人の容疑者 湯けむりに消えた謎(テンデイズゲームズ)

4人の容疑者 湯けむりに消えた謎(テンデイズゲームズ)

テラフォーミング・マーズ 完全日本語版

テラフォーミング・マーズ 完全日本語版

ダイスエイジ

ダイスエイジ

gamemarket.jp
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好き意識

▼▼好きな物事、好きなやりかた、好きな切り口、を、意識し続けることで、深掘りしてゆき、物事と感覚を集中させていって、結果として、際立ったものが出来上がる、という状況は、比較的望ましいと思っている。▼▼とはいえ、独りよがりと紙一重だろう、とも思える。怖れているところもある。のだけど、じぶんの中の「好き」を注視し続けていることによる回復や快癒というものもあるじゃん、と思うこともあって、なので、総合的に見るなら、じぶんの「好きさ」を見るのを忘れているよりは見ているほうがよいのではないか、といった印象がある。▼▼「好きさ」のことを特に意識して見ていなくても、結局のところ、好きさに「沿っている」ことはよくあるのだけれど、意識的に見ていることの効能、というのもあるんじゃないか、って印象でもある。
▼▼如何なるものが好きなんだったかなー、という、迷った時に誰もが最後に辿り着くような場所、問い、って、普段から抱えているほうが──抱えている人のほうが、楽ちんというか幸せというか満足できるというか、比較的よさげな印象があるのだった。


▼▼満足感と自己満足、自己満足と視野狭窄、視野狭窄とつまらなさ、つまらなさと面白さ、面白さと満足感、といった回転や螺旋のことを考えつつ、ああでも、なんか、ぼくはこれが好きなのでここで頑張りますし踏ん張りますね! っていうの、あんまり意識しなくなってたら、なんとなく粗くというか荒くというか、微妙になってたな、と思ったりもして、このあたり周辺の諸々のことを考えていたのだった。

WEB日記が身近なだけ

▼▼日記書き、という自意識があるわけでもないかと思うのだけど、憧れの日記を読みつつ、こういうの書きたいぞ、と悔しがっていることはけっこう多いので、日記に対する矜恃とか価値とか好意とかがおおきめなのは間違いないな、と思った(けどまあ、触れる時間が多い(継続的にやってきたことで、環境的に、触れる時間が多くなるような生活形態になっている)せいで親近感がおおきめで距離感が近めなだけ、という気もした)(日記に憧れている、っていう情景は、なんか好きである)。

判りやすさとダサさ(思考中)

▼▼裾野を拡げるため素人や新人に向けてアプローチしようとした時に、判りやすくしよう、と気負いすぎて、説明過多になり、結果、情報量が制御できなくなったりもして、なんかダサくなる、ということがあるんじゃないかと思った。
▼▼判りやすさとダサさが同じところに顕れやすく思えるんだけど、なぜ? まさかとは思うんだけど、判りやすさとダサさ、って、同義だったり表裏だったりするのかな? でもさ、ならさ、判りやすさとお洒落さが近似や同値だったりするとでも言う気? お洒落なら判りやすいとか頭オカシクない? とか試行錯誤を重ねていて、前述のような位置で判断が落ち着いた。丁寧に細かく判りやすく説明しようとするあまり情報量の制御にミスりやすくなる気がする。でもってダサくなることがある気がする。


▼▼素人や新人に判りやすいようにするため、慣れている人から見たら至極普通の事柄や案件であっても、記載しないとと思ってしまう場面って、かなりありそう、とは思えるところがあり、至極普通のことがわざわざ書かれているのはダサいことではないか、とも思うので、結果、ダサイものが、出来上がりがちである、んじゃないかな。▼▼頑張って意識して「至極普通」を避けようとしてもよいけれど、あえて避けなくてもよい、避けたところで特段の有利はない、という判断もありうる。


▼▼判りきったことが沢山書かれていてダサイ、といった現象や効果を否定する(避けたほうがよいよ、と謳ってみせる)のって、可能なのかなあ、っていうことが、なんとなく気になっていたのだった。


▼▼ほんとうに素敵なキャッチコピーならば(お洒落と判りやすさを兼ね備えているものがほんとうに素敵という意味なので)普遍の人々に届くはずじゃん! って言ってみせるのは、まあ可能な気もするのだけれど(ほんとうに、という言葉を使うのは、ぜんぜん趣味でも本意でもないので、実際はおそらく言わないし、言いたくなる瞬間も時々はあるかなあ、くらいの話ではあるけれど……)、逆は言えるのか、言ってしまってよいのか、でもって、言っている人を信じてよいのか、という疑問に関する諸々かな……。

アンドールの伝説第5話と、ペアネコを遊んだ(白色ボードゲーム会)

白色ボードゲーム会

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アンドールの伝説(第五話)

▼▼シナリオ型ボードゲーム『アンドールの伝説』の最終話である第五話を遊んだ。固定的な集まりの時に遊ぶようにしていて、前回遊んだ時に、第四話を終わらせていた。物語の展開に合わせておのおのが移動や攻撃を選択してゆく選択肢的な自由の雰囲気がかなりあるにも関わらず、非常にうまく「物語の進行におけるイベント」が構築されていて、掌の上で転がされているかのような調整された衝撃を、いっつも、受けさせられている。毎回ほんとうにびっくりさせられているゲーム、なのだ。遠慮や逡巡なく「傑作だ」と断言してしまえる稀有な作品の一つである。
▼▼基本シナリオの最終話である第五話、は、勇者たちの拠点となっていた城が、敵側に奪われてしまうところから始まる。謎の魔竜の気配がほのかに漂う中で、奪還ミッションが開始される。とはいえ、奪還は当然難しく、うろつく敵は強くて、ボスと戦うまでに集めておかないと!という稀少アイテムは遥か遠い地にあって、囚われの仲間は行方不明であったりもする。難関がひしめいている状況だった。
▼▼でもって実際のところ、押し切れずに、今回は敗北に至ったのであった。勝利条件を満たせなかったのだ。ゲームオーバー。やりなおし。運よくここまでは敗北したことがなかったので、初めてのゲームオーバーでもあった。

▼▼まあでも、最低一回はゲームオーバーが前提、という気もした。余程の幸運か余程の判断がなければ初挑戦では勝利条件が満たせなかったんじゃないか、と思えている。というかむしろ、一回負けて流れをまあまあ知ることができた、のだとしても(ランダムで決まるところもけっこう沢山あるし)、勝ちをほんとうに見込めるんだろうか、という疑問が湧いていたりもする。次も勝てる気がしないぜ、という気持ちも少しある。
▼▼おそらく、些細な差、とか思っていたところが、実は、些細な差ではなかったのだろう。あと、攻撃力が1、意志力が1、高かったところで、変わらないだろ、なんて思ってしまっているところがあるのだけれど、攻撃力1の差によって、実際は、確率がおおきく変わり、戦況まで変わり、最後には勝利のチャンスが掴めるようなったりする、のだと思う。というのを想像しきれなかった。雑だったし甘かった。

アンドールの伝説 (Die Legenden von Andor) 完全日本語版 ボードゲーム

アンドールの伝説 (Die Legenden von Andor) 完全日本語版 ボードゲーム







ペアネコ

▼▼改めて後日また挑戦してみますかー、なんて話しつつ、締めとして『ペアネコ』で遊んだ。二人対戦型だ。
▼▼裏表に違う色のネコが描かれた木製コマを、向こう側に押して倒すか、こちら側に引いて倒すか、するだけのゲームだ。倒したコマと倒したコマが同じ絵柄で、つまりペアになれば、コマが獲得できて得点になる。相手側から見えている絵柄は見えない。ので、じぶん側に引いて当てるのは難しく、引いて倒してペアにできた場合は、ペアのコマを、二つとも貰える(相手側に押して倒した場合は、片方だけ)。裏表に同じ絵柄はなく、絵柄の種類も三種類(王様ネコ、恋人ネコ、普通ネコ)に分かれているのだけど、裏表で同じ種類であることもありえない、という規則もあって、このあたりの規則と、見えているコマ、倒したコマ、倒されたコマ、などから、相手側にある絵柄が推理できる(ような気がしてくる)ようになっている。ここの推理具合が程よくて、素敵なゲームである。が、頭の働かせかたが最初は判りづらいところもあるようで(最初に遊んだ時にじぶんもうまく掴めなかった記憶がある)、あんまり対戦相手のツボには嵌まらなかったようだった。残念。また遊べたらと思う。好きなゲームである。
gamemarket.jp