世界は称賛に値する

日記を書きます

可燃幸福に薪をくべる

▼▼誕生日にも年始にも似たような雰囲気で幸せのことを見つめたくなる癖があって、区切りごとに幸せの燃焼区域に薪をくべておきましょうかねー、的な認識があるのかな、と思ったのだけど、普段から──日常の中で、常にくべられるようになっていたほうがよいんじゃないだろうか、とも思って──思ってみて、でもまあ、とはいえ、区切りごとに幸せに目が向くくらいのほうがむしろよかったりするのでは?───定期的に「幸せに薪をくべよう」と思えるなんて幸せなことなんじゃない? というようなことも、思った。
▼▼毎日幸せに薪をくべる習性は素敵だと思う、のだけど、実際のところ、あるいは、じぶんの性能的に、可能なのかなあそんなことが……。短い間隔で繰り返され続けることによる飽きや慣れは、怖い。つかれちゃいそうなのも挫折感が出そうなのも怖い。区切りごとに気が向く、っていう状況は、まあまあ理想的なのでは?