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オートメーションは非人間的(混乱中)

▼▼自動化が進むと――オートマティック的な要素が増えると、浅はかさが増す、というかと思う。言われるかと思う。
▼▼オートメーションは非人間的。機械は非人間的、というような話である。一定の規則のもとで機械が勝手に決める――勝手に決まる。手順の短縮、と、手抜き、の繋がり。
▼▼に対して――。
▼▼手作業こそが人間的。手作業には魂がこもる。逐一人間が決定していくことによる細やかなアウトプット。
▼▼と思ってよいのか。どの程度思ってよいのか。

▼▼こつこつやることの、人間性。
▼▼汗をかくことの、つまり「疲れること」の? 人間性。
▼▼きちんと思考を通すことの、きちんと身体性を通すことの、人間性、というふうに、厳密には、言うべきだと、思うけれど……。

▼▼機械に――ルールに――理論に、頼り切る――依存する、ことの、甘さ、浅さ、思考停止性。

▼▼ならば、不便だった時代に戻れというのか? 戻れば正しいのか?
▼▼火を火打ち石で熾せばよい? 印刷は無礼で手書きが正統? メールより肉声? 電話より実際に会うことのほうが上なの? 車よりも徒歩? 電子書籍より紙の本? 電卓より暗算や筆算? デジタルゲームよりアナログゲーム? リアルなポリゴンよりドット絵? デジタル塗りより水彩?油絵? デジタル署名より印鑑? 機械音より生演奏音?

▼▼効率化、短縮化、によって、思考が甘く浅くなるようなケース、は、無論、想像がつくのだけども。▼▼そうじゃないケースも思い浮かぶけども。

▼▼カメラのオートフォーカスが出た時に、あんなもんは邪道だ、駄目だ、魂がこもってないぜ、という意見や議論があったと聞く。昨今のデジカメの「オート撮り」に対しても同じような言葉があるだろう。
▼▼便利な、手軽な、物が――機能が、出てきて、それが、あんなもんに頼ってたら駄目だ、と言われがちになることは、判る。▼▼けど、時代が変わったんだ、と、時代に即して、新たな切り口を模索する、ってことの大切さ、なんかも、判る。
▼▼わざわざ手間暇かけてこうしていたのがよかったのに、という論理。そこにこそ風情が、趣が、人間性が、細部に神が宿る的な素敵さが、あったのに、という道理。
▼▼便利になって、なりすぎて、だからこそ貧しくなった、みたいな話。

▼▼状況としては判る。そういうことがあるのは判る。頭が止まってしまうことはあるだろう。出来が落ちることもあるだろう。しかし、その対比、対策として、不便さを謳うほうがよいのか? どこまで不便に戻せばよいのか。ガスも電気も棄てる? 適度に、ちょうどよい感じで、棄てたり棄てなかったりすればよい? 誰が決めるのか。ぼくが勝手気ままに決めてればよいのか。

▼▼古い人間が、新しいものを受け容れられない、見慣れていないものは浅はかに見えてしまう。▼▼いや、新しく出てきたものが――歴史が浅いものが、浅く、見える、ってことなのか? というあたりのことも、織り交ぜて、考えないと、だし。