さぼりはじめか、きづきはじめか
文章をいくつか連ねて書いたあと、「この文章が読まれたとき、その読み手の頭のなかに、どういう風景・意味に広がるんだっけ」っていうことを、丁寧に想像してみる。なんとなくそれをやった。そういうことを想像したくなる気分がぐうぜんやってきた。
結果、こんなに真面目に考えたこと(少なくともここ数年は)なかったかも、って思った。なんとなくやらなくなっていた気がする。無意識に逃げていたとか、無自覚に避けていたとか、まああるとは思う。あるいは単にどうやるかいつの間にか忘れていた。
ふとした瞬間に、これ、最近やらなくなっちゃってたな~、って気づかされるのは、後悔が大きい。そして、こういった気づきが(最近いつの間にかやらなくなってたなあ、というふうに感じる場面が)さいきん増えてきた気もする。いろいろ「やらなくなっている」気がする。
ほどほど長く生きてきた結果、いろいろなところで、気づかず手を抜くようになってきてしまい、だから、ふと振り返ったとき、気づかされることが増えた、という可能性は、まあある。が、ただ、気づくのが上手くなってきただけなんじゃないの、とも思わなくはない。振り返り能力や気づき能力が向上した可能性。あるいは、なにかコツをつかんだ可能性。前からいろいろ「やらなくなっていた」が、昔のほうが気づけていなかった可能性だ。
なんにせよ、長年の経験から、コツをつかんで、気づけるようになったなら、ありがたい。こんな何十年も生きてきてやっとかよ、いまさらそんなところのコツかよ、みたいなことも思わなくはないが、とはいえ、人生何十年目で正しいコツが得られるかなんて、決まってるわけないじゃん、とも思うし。人類一般が(場所や時代を問わず)どのくらいの年齢でどういったコツをつかんでいるかなんて正直よくわからん。