インターネットの存在感
インターネットというかSNS、じっと黙って"ただ見てるだけ"だと、いないことになっちゃう場なんだよな、とは、ときどき痛感させられる。そこが独特といえば独特な空間とは言えるかなと思う。発言、行動、アウトプット、露出によって「存在」がようやく認められる世界観。だから、もっと思いついたことをどんどんツイートしていかねば、と、あせった時期もなくはなかったのだけど、さいきんの情勢でいえば、一日一回は日記を書いているんだから、それくらいでじゅうぶんなんではなかろうか、とも思った。さほど目立たないところはあるにせよ、説明責任というか生存報告というか、最低限の存在証明くらいは、できている、って見做してよい気はする。インターネットの存在感に対して要求される水準を最低限は満たしている気がする。
インターネットに「存在」しないとならない、とちょっと必死な思いを抱いてしまう習性の根幹は、もっと突き詰めてみてよい気もするが。尊敬や憧れ、友達、みたいな気持ちをインターネットを通して抱いているシーンが多い、っていうのはあるのかな。
ツイート
ツイート、って言葉、昨今はじゃっかん使いづらくなったけど、発信・発語を「つぶやき」っていうイメージで捉えるの、ふつうによい概念な気がするので、ツイートする、は今後も動詞として採用していけばいいんじゃないの、とは思った。