世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年02月13日(火)前提への疑念の目配せの日

問題意識に噛み合う

問題意識にちょうど噛み合ってくれる本と出会うと気持ちよい。数日前に読んだ『思いつきって、どうしたら「自分の考え」になるの』は脳内での共鳴具合がだいぶよかった。なんとなく思索して下ごしらえしていた理解の網目にうまく馴染んでくれた感じである。こういった快楽があるから読書はやめられないなと思う。

電子書籍の新刊ページやセールページを眺めているよりは、実書店に行って、棚を端から端まで眺めているほうが、打率が高い印象はあるかな。共鳴する本に出会いやすい。探しかたの巧拙の問題かもしれないが。いずれにしても、問題意識にそぐう書籍を探す技術というものがある気はする。うまく発見できるならそうしたい。

なぜ二段階

良書の条件とまで言ってよいのかはわからないけれど、ぼくにとっての"合う合わない"でいえば、合う「言葉づかい」は、つかめてきている。基本的には「前提」をできるだけ疑っている言葉が並んでいるほうが好きだ。説明のときに、せめて二段階くらいは「なぜ」による深掘りをしてくれていると、理解しやすい。脳内に響きやすい。網目に馴染みやすい。深いところまで説明してくれとまでは言わないが(文字数制限もあるだろうし)、しかし、せめて、支えているものへ目配せしてくれているとありがたい。なんかこう、安心して読めるからだ。この安心感が馴染むためのキモのひとつではあるんだろう。

思慮の浅そうなタイトルの書籍を手に取って、ぱらぱらと目を通したときに、丁寧で精緻な言葉が並んでいると、なんだか嬉しくなる。意外性に驚いて喜ぶ感じだ。"当たり"感が強まるんだろう。意外なところでよきものと出会えるのはだいたい嬉しい。傑作っぽい気がするな?とか思っているときに、世間的な評価が高いことを知るのも、まあ嬉しい。審美眼を認められたような気になっているんだと思う。素敵な振る舞いではない気もするけれど、こういった出会いも、なんだかんだ好きで、結果的に、乱読しているところはある。