世界は称賛に値する

日記を書きます

木曜日の始まり

▼▼駄目なところ、改善点、問題点、を挙げて、改善と修繕のためにはどうしよう、とか考え始めれば、頭は動くかなー?なんて考える。▼▼なんていうような、構造論的な対応策を持ち出して躰を操ろうとする癖は、結構沢山ある。熱意や根性や気合に訴えるよりは若干マシなのだろうけど、最近は、頼りかたが精神論めいてきている気もするので、検証とか検討とか反省とかが要るんじゃないかなあ、って思った。▼▼つまるところ、具体性が減っているのだなー。記憶からは具体性が減っていくものである、と聞く。ってことと同種の精神動作だろうか。具体的な策も、繰り返して慣れていくうちに、抽象概念で把握しているような雰囲気になっていって、結果として、粗が目立ってくる──形式化から形骸化の気配すら漂い出してしまう、なんて言えるような現象を考慮している。
▼▼起床時刻は午前6時半。勤務開始は午前9時。新しいことをしようと改めて思う。
▼▼けど、具体性を維持しておけばよい、ってわけでもないのだよなー。抽象化は抽象化で非常にいい奴である。巧いこといろいろ見せてくれる。ので見せていただきましょう。

昨日読みました! 記録と記憶のために残しておきたい言葉なのでニュース風です。

→ 「子どもの頃のことを思うと、体の殆どが目だったような気がする。それは記憶の殆どが映像でできているからかもしれない。 大人になった今、目を閉じてまず浮かぶのは言葉だ。どうか、という言葉の先に続く漠然とした風景を眺めながら、2061年のことはまだ思い描けないけれど、手の届きそうな数年後が、大丈夫ならいいなとか、思ってるうちに眠る」

→ 「B「中と外、って話をしてたでしょ」 A「うん」 B「で、どんなに中と外を相対化しようとも、中と外の区別がつけられる、というか、区別をつけてしまう、のは、身体があるからだよ」 A「……む、そうか……?」

→ 「同じように、長い/短い、濃い/薄い、遠い/近いなど、無数の対立とそれに基づく順序づけが考えられますが、それらに関してもどちらが前か、後か、ということについての固有の規定はもっていません」

→ 「そもそもアンソロジーってのは収録作のうちの半分くらいはしょーもない作品が混じっているものなんだけどなあ。ゴミと言いたくなるようなものはひとつもなく、首を傾げたくなるものもシルヴァーバーグのやつくらい。史上最高の時間SFアンソロジーといっても過言はないような気がする」

→ 「1問題の解決策を考え、最高の案と最悪の案を出す。2最高の案をシュレッダーに。3最悪の案を練り直して最高にする。素晴らしい案になる」