世界は称賛に値する

日記を書きます

水曜日の始まり

▼▼問題空間Aがあって、言葉Xで語られていたら問題視できなかったのに、文章Yや表現Cで知らされたら、おおお、って驚けて、問題視できるようになったりすることが結構ある。同じ「問い」を抱える文章でも、要素や素材によって、印象が変わってしまう、と言える現象かな。攻撃属性が変わる、って言ってもよいと思う。▼▼けど、実際のところ同じ問いなんてあるのかねえ、というのは思う。小説Pと映画Lが「同じような問い」を抱えているように見えても、厳密に言えば「微妙に違う問いである」可能性はあるんじゃないかなあ、と思う、し、あるいは、観測者が「同じ問い」を無理に押しつけて「見出している」だけ、って可能性もある、とも思う、からだ。問いが同じとか、テーマが同じとか、違う物語に対して、軽々しく言っていいのかなあ。って感じでびびっている。

昨日のニュースサイト的おすすめというよりはお気に入りの言葉達の記録

→ 「でも、だからこそ受け入れなくちゃいけないことであるはず。その大事なことをひた隠して「やればできるはずなのに、やらない人間なんだ、お前は」って別の問題にすり替えるのは、二重にひどい」

→ 「"善なる嘘"とは、永井さん曰く、「事実に反している(ことは知っている)が、それが事実であるかのように語ることで世の中がよくなるような言説のこと」だそうです。"よくなるような"であって、"よくなる"ではない場合もあることが含意されてますよね」

→ 「慣れてきて、ちょっと考えるようになると、この特殊な冷たさが逆に他人を救う方策じゃないのかな、と思うようになった。自分に語るように語る、それは冷たいように見えて、世界の中心に向かう語り方なのか?」

→ 「アニメを見る前にどんなものかと思って手にとってみたらやたらと面白かったので最新刊まで読破しました。読む前はなんとなく苦手意識があったのだけど、これはテストと召喚獣の間に因果関係を成立させるための想像がつかなかったためであると自己分析」

→ 「そして、それと同時に今さらのようにわき起こる疑問は、「なぜ星新一だけが、あの時、新井素子の中の何かを見抜くことができたのか?」ということです。世間の相場からすると十分以上に柔軟性のある思考をしていたはずの他のSF作家でさえ保守的に見えてしまうほどの、星新一の発言の突出のしかた」

→ 「1な男と、4な男がいたら、ヒロインはどちらを選ぶと思いますか? そんなの、自明、ではないですか? これはそういう話なんですよ。(染み付いた古い価値観であるが故に、否定しきった行動は取れないということです)」

→ 「ふたつめには、もっと運命と戯れ、運命と遊ぶことが必要ではないかということです。計画的すぎてはつまらない。リスクを避けてばかりでは興がない。遊ぶのは神だけだそうです。人は神を真似ることを通じてしか遊べないそうです」