世界は称賛に値する

日記を書きます

言語化という抽象化という削り行為、と、削減範囲や削減率の違いによる別種認識

▼▼抽象化は「削る」ことかなと改めて考える。整理し直して──捉え直してみる。削る範囲は選べるようだ、とも考えてみる。▼▼言葉っていうのは抽象化の結果で、削る範囲も削る箇所も選べるようだから、各言葉/各概念により、抽象度は違ってくる。変わるのではないかと思う。削減率は一律ではない。抽象化はおのおのでそれぞれで違う。▼▼言語化により抽象度は××%になる、なんていう単純な判断は不可能なのではないか、ってことを考えていた。言語化全体に共通する抽象指数などないのでは? を考えていた。
▼▼抽象化具合の違い──削り取る範囲や深さの違い、のことを考えていたのだった。
▼▼雲と嵐って言葉の削りかたは微妙に違うし、珈琲と薬って言葉だって削っている範囲は違うだろう。眼鏡と権利とかだとかなり違ってくる。落胆と親切心なら? 旅立ちと理論では? 不具合と不条理と不信を比較してみるのもなかなか楽しいかな。通行止めと役不足とか……。理論と戦火とか……。▼▼羅列してみただけである。でも、まあ、なんていうか、つまり、抽象化にも志向や形質の違いがあることを意識させられるなあ──意識せねばなあ、って思ったのだった。脳内処理で試行してみたくなって羅列してみた。