世界は称賛に値する

日記を書きます

帰り際の誕生日プレゼント

▼帰り際に連絡を貰って友人の家に寄った。誕生日プレゼントを貰う。うまい報恩を考えないと駄目だなー、とか考えてみる。駄目、という言葉がそぐうかどうかも微妙なところかな。真摯な気持ちの表明と押し付けられた感は非常に相性が悪いからだ。つまり、強制の匂いを醸し出してしまうと真摯な気持ちは表現されなくなってしまう――しまいがちだと思う。▼押し付けられた感は真摯な気持ちの匂いを駆逐しうるよなー。天敵だろう。能動性や自発性が覆い隠されてともすれば殺されてしまうせいか。能動性あるいは自発性つまり「嫌々ではないこと」は「真摯であること」の必要条件、なのだ。というのは無論理解できるし共感もできる。のだけど、違和感もある。思想としては好きじゃない、っていうか。難しいな。▼説明が難しいな、って思う。嫌々やっていること、と、進んでやっていること、で、評価を違えてしまうのは、ま、しかたないところなんだろう。等価だと判断できない場面があるのはわかる。のだけど、同時に、嫌々やっていることを――嫌々でもやっているということ、を、改めて評価できるような視線だって、養っておいていいんじゃないかなー、って思ったのだ。浅慮で粗雑に見下して、断罪するような姿勢は、あんまり好きじゃないな、とかかな。▼最近わりと普及が目覚ましいよなー、ていうかなんで最近みんなして買ってるんだよー、とか話して、プレイステーション3をちょっと触らせてもらった。買っちゃえば、と薦められたりもした。欲しいとは思っている。が、決定打がないよな、と、現段階ではどうしても思ってしまうのだ。なので、対戦なり協力なりができるものをみんなで一緒にやろうぜーっていう状況なら即買うつもりなのだが……、とは答えておいた。現段階では最も「購入に値する」と判断できる理由だからだ。ずっとそうだ。複数人でゲームをするのが群を抜いて好きだ。