世界は称賛に値する

日記を書きます

悲しんでいるかどうかなんて、実は全然わからないから、悲しませるようなことはしたくなくて

▼滅茶苦茶嬉しくて、ほんとうに嬉しいです、って言葉にしてみたりしても、たぶん感激のすべては伝わらない、とか思っている。思ってしまう。ほんとうに嬉しくて、実際そう言葉にしているつもりだけれど、でも、きっとすべては伝わってないんだろうな、なんて思ってしまう。実際、おおむね伝わってはいないんだろう、とは思う。経験則でだ。けれど、正直言えば別にそんなのかまわない。嬉しさが相手にきちんと伝わることより、相手から嬉しさを貰えたことのほうが重要だからだ。相対化して、無視できる。
▼けど思う――だから思う。誰かの言葉が嬉しくて、独りで心から感激していても、相手は、自分の言葉が相手を感激させているなんて思わなかったりする。同じように、誰かの言葉が悲しくて、独りで静かに泣いている人がいても、私は、相手が悲しんでいるなんて思えないかもしれない。想像ができないかもしれない。たとえ言葉にしていてもだ。感激した私の言葉が伝わりきらなかったように、相手の言葉だって伝わりきらないかもしれない、とは無論考えられる。悲鳴が悲鳴に聞こえず、苦悶が苦悶に聞こえない、可能性。