世界は称賛に値する

日記を書きます

着信アリFINAL

▼思ったのは、ホラー映画というのはただ単に観客を驚かせることだけ考えて作ればいいのだろうか、というようなことだった。瞬間的に恐怖を感じさせることができればそれでかまわないのか、なんて考えてしまったのだ。瞬間的な恐怖だけでいいのだろうか、とか考えてしまう時点でホラー映画には向いていないのだ、と考えるべきなのかも、と思ったりもした。▼理屈の通らなさ、は、ホラーに必要なものなのだろう、とは以前から考えている。理屈をあっさり無視する存在に恐怖を覚える、という構造は理解できるからだ。しかし、だから理屈なんて適当でいい、ということではないんじゃないか、なんて思ってしまった。無論適当ではないのかもしれない。語られていない要素があって、うまくすれば綺麗に繋がったりするのかもしれない。が、だったらこの完結編でそれをきちんと見せて欲しかったな、なんて思ってしまったのである。▼携帯電話に自分から電話がかかってきて断末魔の声が聞こえてくる、という着想は比較的優れたものなのではないか、と考えていたりする。がゆえに、もっと練りこんで欲しかった、と思ってしまったのだと思う。