世界は称賛に値する

日記を書きます

乗り越えなければならない道、を、乗り越えなければならないのか

▼最初に考えていたのは、筒井康隆氏の小説を読むことは、もしも小説というものを書こうと思うのならば、避けて通れない道のように思えるなあ、というようなことだった。無論、乗り越えなければならないだけの試行錯誤がここにあるんじゃないだろうか、なんて判断ができたからだ。が、同時に思ってしまったのである。これを知らなければ新しいものを生むことなんてできないと本当に思うのか、と。もし筒井康隆氏の小説を読んだことがなくて、でもって、まったく読んでいなかったがゆえに、筒井氏の行った試行錯誤とはまるっきり別のところで、素晴らしく『新しいもの』が開花する可能性だって、やっぱりあるんじゃないか、と思ってしまったわけである。正直なところ、この疑問に賛同を返したいわけでも、否定を返したいわけでも、なかったりはする。ただ、このあたりのことをもっときちんと整理してみたいなあ、と、どうしても考えてしまっているだけだ。