世界は称賛に値する

日記を書きます

ブギーポップ・イントレランス オルフェの方舟(上遠野浩平)

ブギーポップ・イントレランス オルフェの方舟 (電撃文庫)

ブギーポップ・イントレランス オルフェの方舟 (電撃文庫)

▼世界の敵が常に『個人』であるのはなぜなんだろうか、なんてふと考えていた。個人の敵が世界である、というのはわかる。というか、想像できる。共感もできる。が、世界の敵が個人である、というのには、軽い違和感を覚えてしまうのだ。世界の敵が『個人』として現出し、その『個人』を自動死神ブギーポップがバラバラにすることで、世界の敵が消える――という構図が、常なるものとして描かれている。わけだけど、一匹の生物を排除するだけで解決する『世界の敵』というのはなんなんだろう、と思うのだ。このへんはきちんと考えてみるとおもしろいかもしれないな、と思ったのだった。▼至極簡潔に言うなら、つまるところ『世界の敵』というのは『世界を破壊する可能性を発現したもの』なのだろう、と考えている。世界を破壊しようとするもの、ではないのだと思う。世界を破壊しようと意志するものではない、と考えているわけだ。世界を破壊してやる、と思うだけでは『世界の敵』に認定されたりはしないようだからだ。▼世界を破壊する可能性を発現し、かつ、世界を破壊しようと意志するもの、は、これまでのブギーポップシリーズではほとんど登場していないように思える。水乃星透子があるいはそれなのだろうか、とも考えていた。▼かつてのおもしろさと同等のものがあるようだ、と思えた。ものすごくおもしろかった、とシンプルに言い切れる。ただし、物語の大局はおそらくさほど動いていない。この物語の描写により『世界の敵』像が少しだけはっきりしたかな、とは思う。同時に、天敵ブギーポップの位置も少しだけ明確になった。世界は不寛容、なのだろうか。