世界は称賛に値する

日記を書きます

私の身体は頭がいい 非中枢的身体論(内田樹)P.62

私の身体は頭がいい―非中枢的身体論

私の身体は頭がいい―非中枢的身体論

《90点》

 風のそよぎも、鳥のさえずりも、緑翳にきらめく陽の光も、どのような所与であれ、「結界」に入ってきたすべての「もの」に、私たちの身体は反応する。
 一陣の涼風が吹き寄せれば、私たちは自然に目を半眼に閉じ、顔をそちらに向ける。かすかに虫の音が響けば、私たちはほほえむように口元をゆるめ、肩の力を抜いて、聴覚の感度を最大化しようとする。このような動作は「攻撃への反応」とはずいぶん異質なものだ。それは何か異物を検出し、排除しようとする運動ではない。むしろ、それを「享受」しようとする運動である。
 喩えて言うならば、「相対的な稽古」が「雑音を遮断しようとする」動きであるとしたら、「絶対的な稽古」とは、「楽音に和音を乗せる」ような動きである。
 物理的な動きそのものはそれほど違うわけではない。心の持ち方が違うだけである。
 しかし、この心構えの差異は思いのほか決定的なのである。
 絶対的な稽古というのは、ただ単純に二項対立的な対関係をひっくり返して、「私」を主にし、「敵」を従にする、ということではない。そうではなくて、「敵なく、我なし」、ただ、音の響きとそれに和する音のやりとりだけがあるような事況に身を置くということである。楽音だけがあって、楽器の奏者がいないような音楽、そういうものを想像してほしい。
「相対的な稽古」というのは、言うならば「奏者」中心に運動を考えることである。「絶対的な稽古」というのは、「楽音」中心に運動を考えることである。