世界は称賛に値する

日記を書きます

閉ざされた媒体

▼▼滅茶苦茶面白い小説に出会って、小説って素敵だ!と思って、また「小説というものの中から」別の作品を探す。傑作映画を観たあと同じ感動を求めて映画を調査する。名作ゲームで感動したので同じくらい感動できるゲームを探す。というふうに、出会ったものと同じ媒体の中で、次、を探し回るやりかた、駄目なところもありそう、って思った(だからって毎回世界ぜんぶとは向き合えないか)。

ジオシティーズ

▼▼ジオシティーズというサービスが終焉を迎え、完全に消える、ということで、かつて制作したホームページを見返してみた。なんでもかんでも取って置きたがるほうではあるので、まだデータが残っている。気づかないうちに消してしまった、と思っていたところもあったのだけど、今回、改めて検索してみたら、見つかった。西暦2000年くらいに制作したものだ。
▼▼昔の文章を読んでいるのは、多少つらかった。昔のことを嫌ったり避けたりなかったことにしたりするのは、やめよう、と思っているところが、前からあるのだけれど、でもまあ、現時点のじぶんが見て納得できる出来ではぜんぜんない、ということは、改めて思わされた。リメイクとかリファインとかリローデッドとか、もし、やろう、って言われたらやれるかなあ、と考えたりもした。
▼▼気に入らない、気に食わない、とはかなり思った。という不満や不快を、現時点のじぶんは、結局どこに感じているのだろう、というのも考えた。この「納得できなさ」の分析については、けっこう強く考えていた。妙に気にしてしまった。客観性を失ってしまうのか異様に見通せないぞ、っていう印象が、興味に拍車をかけたかと思う。分析して言葉にできれば当時のじぶんを多少は肯定できるだろう、という判断も後押しした。


▼▼なんかだめ、って思えたところを雑に挙げておく。





・だから、つまり、つまるところ、って言ったあとに続く言葉が、なんかだめ(ぜんぜん「つまり」じゃないじゃん、と思ってしまうような、隙がある、飛躍がある、説明不足だ!という印象)

・もちろん、無論、の位置が、なんかだめ(前提を説明しきれてないよ!って感覚)

・いまのじぶんとしては判りきっていることを「というのは××なのである」「○○なのは××だからだ」「とか、妙に強気で、大袈裟な言い回しが、なんかだめ

・××というのは○○なのだ、っていう雰囲気で断言してしまっているところ、おおむね納得いかない感じ(ぜんぶがぜんぶそうじゃないだろ感)

・僕らとか我らとか主語がデカイの使っている時があって好きじゃない

・かもしれない、の頻度が多すぎて気に食わない(そして、かもしれない、を使う時だけ、逆側にも舵を取りすぎ、保険かけすぎ)

・××ではない。しかし、○○ではある、とか言っている時、なんかそれズレてない?って思わされることが多い

・××ではない、○○だからだ、という時もあやしい。

・××であるならば、○○せねばならない、みたいな理屈が出てきた時、いやそんなこと言い切れなくない?と思わされることが多い

・なんというか、言葉の置きかた、意味の位置づけ、が、ちょこちょこおかしくて、ズレを感じる(ここツッコまれたらどうすんのよと思ってしまう)

・実は私は~とか書いている時があって、いや知らんわ、って思う





▼▼総じて、ロジックが甘い、言葉づかいが不適切、カメラワークのようなものも下手っぴ、って印象なのかなあ。内容というよりは、言葉の置きかた、意味の位置づけ、に違和やおかしさを覚えている気はした。


▼▼とすると、じゃあ改訂してみよう、ってなったら、言葉選びだけをきちんとやり直せば、言いたいこと、意見、論旨、などは、維持できるんだろうか、とは思った。
▼▼うーん、でも、言いたいことがとっちらかってるというか、例示や余談、連想、なんかの混ぜかたも下手な気もする。するのだよなー。カメラワークが下手っぴ、って書きたくなったのは、このあたりの印象によるものだろう。このあたりの、訳のわからなさ、整理できていなさ、も、書き直したくなるかとは思った。


▼▼挙げておいてなんだけど、同じ欠点、いまもぜんぜんあるじゃん、自覚できてないんかい、という怖さはめっちゃある。▼▼かもしれないが多すぎる、と今になって思えるのと同じように、気がするが多すぎる、ってあとあと思いそうだなあとは思うし。

物語の丁寧さ感

▼▼人から教えられただけの未検証の公式を使って「解けたよ~」って言っている人より、プロセスを理解して、傾向を理解して、難点や注意点を理解して、やりかたを理解して、あるあるを理解して、そうして検算も証明までやって、解けました~、って言っている人のほうが、信用できる。寄りかかれる。好きだと言いやすい。というか、ぼくが触れるものとして考えるなら、後者ような人の行ないの結果、この世に現出してくれたもの、のほうが、よい。都合がよいと思っている。優先したいと思ってしまっている。
▼▼好ましくて触れたり読んだりしたい物語や作品というのは、だからつまり、後者のような匂いがするものであり、後者の雰囲気を感じさせる発言が後押ししてくれているようなものであり、後者のような気配の人柄から出てきているものである、って言えそうだと思った。


▼▼このあたりに「丁寧さ」というものを見ようとしているところがありそうだ。

プラネット・ウィズ

www.youtube.com

▼▼評価が高そうな雰囲気があったので(厳密に言うと、関係者である漫画家・水上悟志がそもそも大好きではあったのだけど)見始めた『プラネット・ウィズ』というアニメが、ほんとうに面白くて、とても好きになった。格別好きだ、という言葉を思った。
▼▼桁違いの面白さや図抜けた素敵さに出会ってしまうと、ぼんやりとした欲として、平凡や普通というものに時間を使うことに惜しさを覚えてしまう、と改めて思った。格が違う、桁が違う、次元が違う、と判断できる瞬間の気持ちよさに、溺れてしまう。溺れ始めたところがあった。というくらい面白かった。


▼▼極めて面白いと思える物語は、やっぱり、なんというか、丁寧な気がする、とか思いながら観ていた。丁寧に見えるから面白いのか、面白いから丁寧に見えるのか、は、見極められていない。丁寧ならば面白くなるのか、っていう謎もあるし……。丁寧なのに面白くない、丁寧で面白いのに嵌まらない、丁寧じゃないのに面白いしすごく嵌まった、あたりと見比べないと駄目そうだ。と言いつつ三つともうまく実例出てこないし……。


▼▼キャラクターが背負っているものがいちいち丁寧だよなって思ったし、キャラクター同士の関係性が丁寧に決められているなって思ったし、描写が丁寧だと思ったし、伏線と回収までの流れも丁寧だと思った。テーマとテーマの響きかたも丁寧だった。世界や状況の設定に対しては、奇抜!!って思ったけれど、奇抜さを安定させるための丁寧さがここにある、とも思った。

どうでもよくない誤用

▼▼言葉の誤用に関してはいろいろな意見を見聞きしていて、まあおおむね賛同だな、と見聞きするいろいろな意見ごとに思っていたりする。いろいろな場面があり、いろいろな正当や順位があるのが判る。誤用を気にする人の気持ちも気にしない人の気持ちもまあまあ判る。気にしてしまう時も気にならないでいられる時も、気にしたほうがよさそうな時も気にしないでよさそうな時も、指摘したほうがよいであろう時も、流してしまったほうがよいであろう時も、ある、って判断している。


▼▼けれど、漢字の意味なんかが完全に無視されて、昨今ではこういう場面でこういう意味で使われていますからねえ、と、主流、多数、頻繁、といった事柄に押し流されるようにして、固形、固着、してしまった、誤用、っていうのは、ぜんぜん好きじゃあなかったりする、って思った。改めて思った。いや漢字の意味通らなくなっちゃうじゃん、という誤用をけっこう明確に嫌悪している。漢字の意味が守られない、意志、気持ち、場、がなんか好きじゃないのだ。漢字自体が持っている意味を追っかけていくことで、知らない単語が読解できたりする、知らない文章が読み解けたりする、といったプロセスが、だいぶ好きだからだろう。
▼▼檄を飛ばす、とか、憮然、とか、耳障りだ、とか、おもむろに/徐に、とかがそうかなあ。世間擦れもそうだ、って思った(ズレと擦れは違う言葉なんだ、と、改めて調べていて再認識した)。綺羅星のごとく、あたりも含められる。


▼▼対比して言うなら、この慣用句が使われる時はこういう名詞や動詞を付けておくのが慣例なんでよろしく~、みたいな形状で出てくる誤用は、比較的どうでもよい、と思っている。確かに字面だけだとこういうふうにも読めるけど実際はこちら側で読むのが正当なんで~、的な形状で出てくる誤用に対しては、ガイドラインというかガードレールというか、解釈ミスしないように、なんとかならないのかねえ、って思っている。

昨日と今日のギャップ萌えDIY

▼▼同じような昨日と今日でも、じっくり見れば、異なる。同じ言葉で呼べる行動であろうと違いはある。とはいえ、逆に、ぼんやり見れば、そっくりだったりもする。浅慮に同じ言葉で呼べる。といった「行ったり来たり」で、遊んだりできるなあ。新鮮味および違和感、気分転換、を活かして、楽しんでいくことができる、と認識しているのだった。同じ/違う、という理解や解釈の行き来のやりくりで、楽しむ。といった遊びの記録が「日記」として残るのも、面白い、って思っていたりもする。似たような日々も、そういった形式や風味で見て、よいな、って思っている。解像度上げようとか思い立てるのはよいことだと思える。解像度下げようって思えるのだってよさそうだ。▼▼昨日と今日のギャップ萌えの自作趣味は、好きな趣味だ。