世界は称賛に値する

日記を書きます

『ワンダと巨像』で遊び始めた

▼▼遊ぶのが非常に好きである。寝ることについては嫌いというほどではないけれど好きというほどでもなくて、起きる→遊ぶ、ぞ! というふうに短絡的に繋げてしまう習性があるかとも思う。起きていることと遊んでいることが脳内で同じような位置を占めているのは幸せな話だ、とも思った。
▼▼深夜勤務を終え、ほんのり寝てから、結局は起き始めてしまって、遊んだ。PS4『ワンダと巨像』で遊び始めた。前から遊んでみたかったので買ってみた次第だ。PS4リメイク版が出たのでよい機会だと思った。少し前に同作者の『人喰いの大鷲トリコ』を非常に楽しく遊び終えられた余韻も影響している。


▼▼嘘をついて遊ぼうという日であった。嘘をついて遊ぼうという日になってきたという雰囲気が着実に増してきた。楽しみ!と思える嘘を見せつけられる機会が増えて、落胆の回数も増えてきたので、嘘で楽しめてはいない、と思った。エイプリルフールという習慣が途絶しても別によいよという気持ちはある。

【PS4】ワンダと巨像

【PS4】ワンダと巨像

コインエイジ、朧スターニンジャトリック、サメ警報、世界の七不思議、ブードゥープリンス、イスタンブール、で遊んだ(白色ボードゲーム会)

白色ボードゲーム会 2018/03/31

▼▼遊んできた。比較的珍しい顔触れであったかと思う。想定していたよりかなりうまく噛み合った印象があって、非常に楽しめたので、改めて集めたい顔触れだと思った。この面々で噛み合うとはなあ、という驚きがあるほどだ。勝手に「白色ボードゲーム会」と呼び名を決めている集まりであった。
▼▼『コインエイジ』→『朧スターニンジャトリック』→『サメ警報』→『世界の七不思議』→『ブードゥープリンス』→『イスタンブール』という順番で遊んだ。






コインエイジ(初プレイ/2人)

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▼▼二人対戦型。互いに同量のコインを持ち、盤上の領地の上に、交互に置いてゆく。置くことで支配権を得られる。おおきなコインの上にはちいさなコインを重ねることができて、一番上に重ねたプレイヤーがその領地で、得点を貰うことができる。これはかなりよいゲームだ。傑作の匂いすらする。
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(最大【10】点中、範囲としては【6~9】点の雰囲気があり、本日は【8】点)






朧スターニンジャトリック(プレイ2回目/3人)

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▼▼三人対戦型という珍しい人数制限があって、なんだかんだで出番が多い。三人での読み合いのバランス調整が素晴らしい。場のカードを獲得することで得点になるのだけど、最後に獲得した得点が有効になるのと、色ごとに別で得点計算されるので、非常に悩みどころの多い相互作用が出来上がっている。得点上限の調整もスゴイ。非常に好きだ。
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(最大【10】点中、範囲としては【4~9】点の雰囲気があり、本日は【8】点)






サメ警報(プレイ2回目/5人)

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▼▼サメカードとイルカカードしかない中で、手札を裏向きに場に置くか、じぶんのカードをめくるか、相手のカードをめくるか、をしていくだけで、こんなふうにゲームが出来上がるのか……!という驚きがある。訳のわからなさ、と、コツを掴めた時の驚きや楽しみ、を、伝えたくて、出してしまう癖があるなあ。
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(最大【10】点中、範囲としては【4~9】点の雰囲気があり、本日は【7】点)






世界の七不思議(プレイ3回目/5人)

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▼▼がっつり遊んだ気持ちになれる。時間がかからない。多人数でも遊べる(多人数でも時間がかからない)。相互作用もほどほど。という、完璧とすら言いたくなる出来栄えのゲームだ。初心者向けとは言い切れないけれど、決して難しくはない印象でもある。建物カードを一枚とって効果発動、次の人にカードを回す、という繰り返し。楽しい。
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(最大【10】点中、範囲としては【5~10】点の雰囲気があり、本日は【9】点)






ブードゥープリンス(プレイ2回目/5人)

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▼▼一枚ずつカードを出して、最も強かった人が、カードを獲る。三回カードを獲ったら場から抜ける、抜ける時の「まわりのプレイヤーの獲得数」だけ得点が貰える。先に抜けた人のぶんも獲得数は残るので、あとで抜けたほうが高得点なのだけど、最後の一人になってしまうと、じぶんの獲得数ぶんしか得点が貰えない。ジレンマ素敵だ。
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(最大【10】点中、範囲としては【5~10】点の雰囲気があり、本日は【8】点)






イスタンブール(プレイ2回目/5人)

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▼▼多少重めかな、という雰囲気を出しつつ、重いと言えるところまではいっていない印象が強くて、遊びやすい。商人となって、十六枚の場のカードの上を右往左往し、商品やお金を集めて、ルビーを買う。ルビーを五つ集めたら勝ち、というのも判りやすくてよい。手番五番目が少しつらそうだったかな。拡張入れたらよいという話も聞く。
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(最大【10】点中、範囲としては【5~10】点の雰囲気があり、本日は【8】点)

くだものはおおむね漢字じゃない雰囲気

▼▼くだものの「漢字じゃない率」はスゴイな、と思った。漢字だと硬い印象が出る、ひらがなだとやわらかい印象が出る、というような言説に対しては、疑問も不満もいくらかはあるのだけど、くだもの関連の文字列を眺めていたら、納得させられるところが流石にあるな、とは思った。甘いものを「やわらかい」と見做すところに違和や不満を覚えにくい、のは、なぜなのだろう、ということも思った。結局のところ神経や筋肉の緊張に因るんじゃないのかな、と最近は思っているところもある。

弱キャラいなくてよい(ゲームなんだから現実と似ていなくても)

▼▼ゲームキャラクターに関して、最後まで育てれば強い、愛があれば強くできる、システムを駆使することで裏技的に強い運用が可能(意図的版と偶然版があるとは思う)、戦略や戦術の中でおのおのの活躍の余地がある、というような扱いが用意されていることは多々あって、単なる弱キャラ、というのは減ってきたんじゃないか、って思っている。昔に比べたら減ってきた気がする。単なる弱キャラなんていなくてよいじゃん、なぜ登場させているんだ、とか思ってしまう習性は、多少あるかと思う。無駄なキャラクターはいないほうがよいはず、選別や育成に関しては失敗なんてないほうがよいはず、というような観点があるのだ。ゲームキャラクターに限らず、死にスキル、失敗選択肢、などに関しても思ってしまいがちである。
▼▼でもまあ、わざわざ用意しているからには、意味があるんだろう、創作者の意志や意図や、目的、作戦、都合、があるんだろう、とは思ってみたりもする。


▼▼創作者の狙いに関する第一案、として、あえて弱いキャラばかりを使用する、という縛りをつけた遊びかたをすることは可能であって、こういった自由を許容し可能にするために、用意している、というのがあるんじゃないかなあ、とは思った。


▼▼創作者の狙いに関する第二案、として、実際に弱い人はいるのだから、リアリティの獲得のために──現実と似せるため、現実に近づかせるため、に、用意しているのだ、というのもあったりするんじゃないかなー、って思ったりもした。「皆が、同じように、強くなりうる、世界」なんて、確かに現実的ではない。といったことに対して、ゲームだからよいじゃん、と、あっさり思える人も、ぜんぜん思えない人も、いるはずであって、このあたりのことについていずれを選ぶか、に関して、不平不満を言ってみても、しょうがないんじゃないかねえ、とは、思える──思える気も、してきた。不平不満を思ってしまうじぶんは、ゲームだからよいじゃん、現実に似てなくたってよいじゃん、と思っているほうなんだろう、とも思った。


▼▼とは思いつつ、いやでも違う可能性もあるんじゃないかなあ……、って思った。キャラクターの能力値の強弱に関して、如何なるキャラクターであろうと強くなりうるように設定してみせる人、というのは何も「ゲームなんだから現実と似てなくても別によい」と思っている人ばかりじゃないだろう……、って思ったのだった。なんというか、現実的な世界だって実は「皆が、同じように、強くなりうる、世界」であるかもしれない、と期待している人の場合があるんじゃないのか? って思ったのだ。
▼▼ある人間が、今後、強くなりうるか、可能性があるか、なんて、結局は未知数だ。こどもからおとなにかけては「強くもなるだろう」って雰囲気が強いし、おとなの範囲内であっても「強くならないとは言い切れない」雰囲気はある。意識や精神が変化したり、なんとなく慣れたり、説明を受けてコツを掴んだりして、上手い下手が変わることは、あるはずである。こういった変動の向こうに期待を寄せている人がいたって、よいじゃん、とは思ったのであった。


▼▼っていう、リアリティ主導の話(現実に似ているかどうかを背景にしていることが当然みたいな空気)は、まあでも、置いておいてもよいのかな……。別に、ゲームとしてバランスが取れているほうが単純によいじゃん、無駄も失敗も少ないほうがよいじゃん、現実がどうとかまったく関係ない(見もしてないよ)、といった意識だって、また、ぜんぜんあってよいはずである。▼▼なんか「ゲーム内世界と現実世界の挙動を「同じ」ようにしたほうがよい派」的な頭の働かせかたをしてしまっているぞ、って思えてきたので、再調整を図ったしだいだ。


▼▼ゲームが楽しくあるために、物語が楽しくあるために、現実世界での事象の構造や確率なんかと比べた場合に「都合がよすぎる」ことが、やはりあるわけだけれど、そもそも、現実に「近づける」「似せる」ことが──「現実」にいったん目を向けることが、ゲームや物語として、正しかったり、当然であったり必須であったり、するわけでは、ない。ぜんぜん似ていないことが、いくらか似ていることが、誤解を招くことが、人生や個人の意識や文化に関して、害為すことはあるだろうけど、でもって、害為さないよう調整を図るのも自由だけれど、「現実と比べてみると都合よいところがある」ことが、ゲームや物語として、悪であったり、駄目であったり、破綻や失敗であったり、するわけではない。ぼくたちはあれらを現実のコピーのために存在している/存在させている、わけではない。


▼▼書いているうちに気づけてきたので、混乱しつつ言葉を繋げてみた。
▼▼物語に対して「都合がよすぎるんじゃないの?」っていう言葉を向けたがっていることが多いこと、あるいは、ゲームシステムに対して「現実の挙動に近づいてゆくことが正当な進化だ」と思っていそうなこと、が、浮き彫りになってきて、おおお、って思った。

ランク言葉選びで正しさが匂うかどうか

▼▼高級って言葉からは「正しさ」がわずかに匂っている気がしている。上級という言葉からも高級ほどではないけれど、なんとなく匂っているかなあ。上品という言葉になると空間が異なってくる印象だ。というか上品の場合は「正しさ」というよりは「美しさ」の匂いという印象かなー。逆に言うと、低級は「正しくなさ」が匂う、と言える? 上級と高級が若干異なるように、下級は低級とは若干異なる、のかな? 下品は確かに「美しくなさ」かもという気もする。▼▼上品/下品、に相当するであろう、高品/低品、という言葉はなさそうなので、選んでくるなら、高品質/低品質、になりそうなのだけど、まあこうなると、正しさとはぜんぜん関係ない空気が出ている(気がする)。つまり「級」という言葉が──ランク言葉が「正しさ」を匂わせている、ってことなんだろうか。上品/下品に関わっている「品位」や「品格」あたりだと、やっぱり「正しさ」とは違う軸になりそう、って改めて思った。上位/下位、上等/下等、も話に混ぜることはできそう。優等、高等、上等、とか、上質、良質、(高品質?)、あたりも関係はさせられる、かなあ……。
▼▼うーん、上、よりは、高、のほうが、正しさが匂っている気がする。なんとなくだ。