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『天冥の標』第七巻までを読み終えた

▼▼最近スローペース気味になっていた『天冥の標』読書が、突如、活性化し始めて、六巻七巻を一瞬で踏破することとなった。ほんとうに面白すぎた。国家間における戦争、歴史大河、といった要素から来る壮大さに素晴らしさを覚えられる物語、というものを、いくつかは知っているつもりなのだけど、『天冥の標』が見せてくれる「人類史的な面白さ」って、あまり類を見ないぞ、とも思った。流石に「十巻を費やして語ろう」と計画された緻密な設定を背負っているだけはある。物語の持つ空間的な違いによるものなのか時間的な問題によるものなのかは(宇宙規模というデカさのせいなのか数百年という長さのせいなのかは)判らないのだけど、とにかく、珍しい感じ、新しい感じ、稀少な感じ、があるのだ。テクノロジーの進歩的な切り口だけでなく、病原体、人間とは異なる知性による奪い合い、新人類、といったものを混ぜ合わせるにあたっての腕前が、あんまり類を見ない雰囲気を見せているんじゃないか、というふうに考えたりもした。
▼▼最初に、ある目的を持って産み出された物体や機構が、その意味を失い、その来歴を失い、悪用と形骸化と変異の果てに、別物となって、別物となったことさえ忘れ去られながら、生き残りつつ、何かを引き起こしている、何かを継続させている、というような状況が、非常に好きで、人類の歴史というものを見るにあたって、そういったところに着眼したがる趣味が、ある。楽しく見たがる癖がある。といった趣味嗜好のもとで見ると、滅茶苦茶オモシロイ物語なのだ、と思いながら読んでいた。
▼▼読みやすさ、面白さ、といった面から言うと、第一巻、最初の物語である「メニー・メニー・シープ」から読まなくてもよいんじゃない? 二巻からが読みやすいかも? いや二巻じゃなくてもほかの巻からのほうがよかったりもするんじゃない? というような意見も見かけたことがあったのだけど(でもって納得できるところもあるのだけど)、そうか、歴史の大河の中でこんなふうに姿を変えてしまった──変えられてしまった──変わっていってしまったのだな、ということを、どっぷり浸りつつ楽しむのなら、一巻から読むんでぜんぜんよいじゃん、むしろよいじゃん、と思えたりもしている。第一巻から読んでいてよかった、と、現状では思えている。


▼▼モッタイナイ精神が強いせいか、第八巻に飛び込んでしまうかどうかは、なんとなく迷っている。死ぬほど読みたくなった時に読めるものを保存できていない、という状況が怖いのだ。読みたくない、続きを待ちたくない、せめて九巻が完結してからなら……、という気分が出てきている。現状では九巻の二冊目が最新刊だったりするので……(全十巻のうち一つの巻が複数冊にまたがることが(かなり)ある)。
▼▼第九巻は二冊で終わっているよー、と聞いたので追記しておこう。うーーーん、なら第九巻までは読んじゃうかなあ。中途半端で待たされるわけじゃないなら、まあ、アリな気もする……。変に完結を待つよりは、発売直後に、読んでいく、というほうが、完結時の気持ちよさが増すんじゃないか、って気もするし……、でも、一気読みの気持ちよさもあるし、難しいところだぞ、とは思う。

天冥の標 ? 宿怨 PART1

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天冥の標 ? 宿怨 PART2

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天冥の標 ? 宿怨 PART3

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天冥の標?

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