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転義法

▼▼比喩の説明に絡んでくる「転義法」って言葉、脳にぜんぜん定着しないのだよな。自然に馴染んでくれる、に達するまでの道のりが、まだ数段、抜けてる印象である。全体像が見えてない的な落ち着きのなさなのかなー、とも思った。比喩、直喩、隠喩、換喩、提喩、寓意、などの言葉がばらばらと散らばってるだけになっている。
▼▼比喩が好きなので、比喩の理解を深めよう──厳密に認識できるようにしよう、って思い立つことがある、のだけど、調査するたびに「転義法」と出会っておきながら、結局はすぐに忘れちゃうのであった。毎回聞き慣れない言葉として響いてきてしまう。
▼▼ので、改めて辞書調べしておく。

「転義法」
 転義法(てんぎほう)あるいは転義(てんぎ)(英、trope)とは、修辞学の修辞技法の一種で、例えば、言葉を文字通りの使い方あるいは標準的な使い方とは別の方法で用いることを指すための学術的な用語。
 日本語で通常「比喩」「比喩的用法」あるいは「喩」などと呼ばれているものは、およそこれに相当する。洒落も転義法に含まれる。


 古典修辞学では、転義法の意味のtropeは、文中の言葉の配列(パターン)の変更を伴う修辞技法を指す「scheme」とともに、修辞技法を大きく二分するものだった。
 現代ではtropeは「言葉のあや」「文彩」「修辞」という意味にも使われる。これは「en:figure」と同じ意味で、つまり「修辞技法」のことである。
──Wikipedia 「転義法」

▼▼しかし、比喩の種類分け、ってやはり難解な問題なのだなー。分類するための軸に関しても、諸処、意見があるようだ。隠喩と直喩で二分するか、提喩ってやつを含めて三つに分けて整理するか、ってあたりである。▼▼言語の複雑さ相変わらずだ感あるなあ。複雑さというか混線具合というか、おのおのの言葉の利用場面が多層的かつ雑すぎる。更に言うなら、雑な使いかたの時に人類理解しすぎ。