同じ台詞の見つめかた

▼▼普段より忙しい一日だった。忙しなかった。慌ただしかった。ばたばたしたし、あたふたした。時間が進むごとに業務が積み重なっていって、困った。
▼▼人間の「一日のアクション」の許容限界を10とした時、普段は7付近で過ごしているけど突如15量のアクションを喰らった人、と、普段は1あたりでゆったりと過ごしている中で突然9を積み重ねられた人、が、それぞれいたとして、両者の口から「なんでこんなにじぶんにだけいきなりいろいろ来るんだよー、キツイよツライよ嫌だよー」という不満台詞が出るであろうことは想像できるし、同じ、と言えなくもない近似の感覚から台詞が出てきているであろうことも想像はできる気がするし、聞き手側に立ったとしても同じ雰囲気で聞いてしまうことがあるんじゃないかと思うのだけど、でもやっぱり、違うは違うじゃん、とは言いたくなる、っていうか、違うものとして見做せる、聞ける、ということが、あるとよいよね、っていうのは、思ってしまうところがある。言いたくなるところがある。言っておきたくはなるのだった。同じ言葉から複数の情景が想像できる。想像力が至る。ということに、理想や幸福といったものを見ているところは、ある。