世界は称賛に値する

日記を書きます

『コンプレット』『宝石の煌めき』『ウボンゴ』『ニムト』『アルゴ』で遊んだ(ボードゲーム)

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▼▼ディスクシステムの『もえろツインビー』が、妙に好きだった。三人で遊べる、というシステムが衝撃的だったせいだ。いつだって、複数人でゲームを遊びたい! という欲が脳内で渦巻いているところがあるのだけど、この欲は、結局、あの時受けた衝撃を引き摺ったものなのではないか、なんてふうに考えてみることもある。
▼▼結果的に、マルチタップ(複数のコントローラを接続するための機器)を、必須、と考える人間にはなった。これまで遊んだほとんどのゲーム機に、マルチタップに類するものを繋ぎながら、遊び続けてきた。と同時に、いつも、なんかこう新しいパーティゲームはないものかなー、と、思いながら(街中のゲームショップでウインドウショッピングをしながら)歩んできた。新たなパーティーゲームに皆で取り組み始める、という雰囲気も好きなのだ。このあたりに関しては、比較的幸せな経験を積んでくることができた、ということでもあるのだろう。
▼▼無限にあるのかよ、と思わずツッコミたくなるくらいに、多種多様のゲームが、ボードゲームという空間の中には、並んでいる。知らない題名をいつだって耳にする。メカニクスが楽しければ楽しい、というところも含め、時間が経ってもあまり色褪せないところがボードゲームにはあって、ほんとうに沢山の作品が、常に遊べる状態にあるのだ(とはいえ、遊びにくいと言われがちなところが、ジャンル内全体で、少しずつ、洗練され、改善され、変遷していっているところも、よいところだ)。
▼▼コンピュータゲームにマルチタップを求め続けるような人間が――ソフトに対してもいつだって新しいやつが理想だ、と思うような人間が、ボードゲームに嵌まるのは、まあ当然だわな、というようなことを、最近は思うのだった、というか、ずっと前から思ってはいるのだった。コンピュータゲーム的パーティーゲームの「限り」より、ボードゲームは、より「限りない」、なんて言える。なんて言いたくもなったのだけど、最近はまあそうでもないかなあ、という気もしてきた。ゲーム機の進化、インターネットの普及、時代の移り変わりに合わせて、「皆で遊べる」ゲームは爆発的に増えた。ファミコンからプレイステーション2くらいまでの流れの上にあったパーティゲームの数を、昨今は、軽々と超えてきているかと思う。着いて行けてないだけじゃない? という気もする。
▼▼というようなことを思ったり思わなかったりしている中で、一緒にボードゲーム遊びができる人を、増やそうと画策している印象はある。誘いをかける機会にいくらか目聡くはなったと思う。積極性が多少出ている。快楽が積極性を後押しする感覚、好きだ、というか、これを普段から意識しておかないと、ということも思ったりする。引っ込み思案な空気を快楽が押し流してくれる。良きにつけ悪しきにつけ、理解しておいてよさそう。


▼▼というわけで、今日もボードゲームで遊んだ。
▼▼『コンプレット』『宝石の煌めき』『ウボンゴ』『ニムト』『アルゴ』の順番かな。
▼▼『ウボンゴ』が初プレイで、仮遊びという雰囲気だったけれど、面白かった。テトリス的なタイルをいくつか渡されて、与えられたボード上に綺麗に嵌められたら勝ち(速い人が勝ち)というゲームだ。皆でパズルを解いているだけなんだけど好きだ。『ニムト』はひさしぶりに遊んだ。じぶんは好きだし、定番と言われがちだとも思うのだけど、プレイヤーによって盛り上がる時と盛り上がらない時の差が激しいので、若干使いにくい印象がある。どう戦ってよいか判らない、って思う人がわりといるイメージである。『アルゴ』四人プレイ。いやあ『アルゴ』四人はよいね……! 完全に論理パズル兼チーム内での情報戦になるところが素敵すぎる。