世界は称賛に値する

日記を書きます

がさつ(人に対する視線ががさつ)

▼▼結構がさつなので、という自己申告をテレビで見かけて、がさつなのって昔は「ぜんぜんよいよー」とか思っていたはずなのだけど、最近はあんまり好ましく思えていないっぽいなあ、と気づいた。
▼▼がさつな人って優しくないじゃん、とか思うようになったからじゃないだろうか……。
▼▼──と思ったのだけど、あ、違うかも、とも思った。逆だわと思った。


▼▼人に優しくないことを、つまりは、人様に丁寧に接していないことを、無意識に甘く見ていることを、無自覚に軽んじていることを、がさつ、と、じぶんが「分類」するようになっただけなんじゃないかな、と気づいたのだった。そこを中心に観るようになった。重く観るようになった。


▼▼人に対する視線が粗雑なのと、行動とか整頓とかが粗雑なのは、若干、異なる、というかなー。別種のものとして扱っているところがあるようだ。
▼▼うーん、まあ、共通するところがある(共通するものから出てきている)パターンもありそうなので、一概には言い切れないところもあるのだけれど。


▼▼行動はがさつだけれど、人の気持ち等に対する視線は繊細、ということは、まあありうるだろう、って思えるわけだけど、逆(?)に、行動はがさつだし、他者に対する視線もがさつ、そして、その「がさつさ」は、同じところ──同じ怠惰さから出てきている、というようなことも、ありうるんじゃないかなあ、っていうのも、思える気がする。想像は可能な気がするのだよな。