世界は称賛に値する

日記を書きます

物理パズルと論理パズル

▼▼物理がかちっと綺麗に嵌まった時の気持ちよさ、と、論理がかちっと綺麗に嵌まった時の気持ちよさ、は、似ている、と思っていたし、同じものでは、とさえ思っていた気がするけれど、実際のところ、論理には姿も形もなくて実際に綺麗に嵌まっているなんてわからないじゃないですか、と思えてきたりもしたので、論理がかちっと嵌まっている時の気持ちよさ、というのは、形や姿がないからこそのものなのでは、思ったりもした(印象や意味のうえで「嵌まったぜ」と感じさせる脳内シミュレート、という挙動が楽しい、というのが混じっていたりするんじゃなかろうか)(論理の気持ちよさには、規則や約束に則って動いている、あるいは、守られている、という気持ちよさも混じっていそう)