誤った経験則実験、の相手に向けて、礼節

▼▼統計としてほぼ確定している学術的知識「XよりYになることのほうが多い──確率が高い」、に関して、逆転した経験則を獲得するよう人体実験してみて(Xになるケースばっかり見せる)、普通Xでしょ、と思わせる──シミュレートするなら、基本的な前提にはXと置くべきでしょ、と思わせる。
▼▼論争相手がそういった人間だった時に、相手はそういう思考を持ってるのだ、と気づけるかな? ▼▼気づいてそこを説明しようと思えるか、気づいてそこを思いやろうと思えるか、そういうところまで辿りつけるかな? ▼▼ってあたりを考えていた。


▼▼あ、いや、これ、違うな。
▼▼気付けるとか思いやれるとかの話ではない。
▼▼なんていうかな。
▼▼「そこを説明しようと思えるか」は近かった気がするけど。


▼▼えーと……。
▼▼統計としてほぼ確定している学術的知識があって、その中で、その判断は明らかに間違いなのである、っていう状況があった時に、それを後ろ盾にして──精神の防御力を上げる鎧にして、相手に、そのことを、強く押しつけずにいられるだろうか? というようなことを考えていた、と言えるかな……。
▼▼うわ、押しつけるという単語を使うと、ズレる……。
▼▼「強く」のところが妥当だった。
▼▼強気に攻めずにいられるだろうか? 礼儀を失わずにいられるだろうか? というようなことだった。▼▼黙らせようとするような言葉選びで言っちゃうんじゃねーの? と思った。
▼▼罵倒も辞さないというか。ここ難しいな。礼儀がやっぱりよい言葉選びかも。


▼▼でもって。
▼▼学術的知識が、聞きかじりのうろおぼえだったら?
▼▼それが学術的知識ではなくて、みんながたいていそう言ってる、という場合は?
▼▼むしろ、相手と同じように、じぶんも経験則を背景に言ってるだけだったら?
▼▼そして、その後ろ盾になる情報の確定具合によって、強気さを変えるのか?


(強気さを変えてよい、罵倒も辞さなくてよい、黙らせようとしてよい、という判断も無論アリだ、という上での試行錯誤ではある、つもり。自覚しているなら、覚悟しているなら、尚更)


▼▼実際は、誤った経験則持ち、なんて状況を、確定させることはできないだろう。じぶんが経験則の構築をミスってるだけの可能性があるし、別種の空間における経験則同士をぶつけあってるだけの可能性もある。
▼▼そもそも、経験則構築のミス、って何?
▼▼いや、そこをいちおう進めるために「統計としてこちらと言える/言えない」って枠組みを出してみたんでしょうが……。
▼▼いずれにせよ、実際の誤り具合は、目に見えない。比べられない。
▼▼気分の問題、にさえなったりする。
▼▼というような中で、どれくらいちゃんとしていられるのか。ということを考えていた気がする。
▼▼最後のほう、雑だ。前半のほうが意識強めなのだった。