曖昧模糊

▼▼気がする、雰囲気がある、印象を持っている、というようなところがある、じゃないかなー、というのが、発言をぼんやりさせるじぶん的な五神器、かな。
▼▼(感じ、という言葉の見た目があんまり好きじゃなくて、なんか避けてる(っていう状況を自覚して、ここ最近は、むしろ積極的に使うようにしている))、っていうことについて考えていて、感じを使わないで何を使ってるだろう、という頭の動きから、無闇に整理された五神器であった。
▼▼語尾を曖昧にしてみせるような言い回しは避けたほうがよい、という、言葉に関する訓辞はよく聞くけれど、間違ったことは断言したくないよー(恰好つけたいよー)という欲、を、まだぜんぜん制御できていなくて、ぼんやりさせることで、いまだに、回避なり防御なりしようと画策しているところがある(使った)。とはいえ断言してしまったほうがよいのだよ(だって一人の人間の断言がある程度の誤りを含みうることなんて判ってる人のほうが多いのだし、いちいちぼんやりさせてる言葉を聞いてるのって聞く側としてもツライしメンドイし、だから、言葉をあえてぼんやりさせるメリットなんてあんまりないのだぜ?)、というのは、なんか理屈としても実感としても判るんだけど、んでも、うーん、なんか、やっぱり、これって見栄を張りたい的なことなのかなー。そんなに間違ったことを言いたくない? 世界の断言できなさが好きなんだ、っていう言い回しと誤魔化しも頭の中にはあって、でもこれもまあ、少しは真実というか実態を含んでいる、とは思うのだが……。この話、最近、ちょっとしたな……。
▼▼間違ったことを言う、って、つまり、じぶんの中でなんなん? っていう疑問文が浮かんだ。これは(じぶんにとって)よい問いかも。あんまり考えたことなかった気がするし、そこそこクリティカルな問いな気もする。