自己採点80点以上の文章だけを見せたがる

▼▼閃きが冴え渡る!的な好調時の──自己採点で80点以上みたいな文章だけ、を、見せたがってしまってるところは確実にあって、つまり恰好つけたがってしまっていて、おかげで書く手を止めてしまったりすることさえある。思いつかないよー、つまらないことしか書けなくていやだー、ってのを許してしまったり、許容し諦めてしまったりする。て雰囲気が最近妙に目立つ──目につくなあ、と考えてた。契機かな的に考えてる。
▼▼駄目だよな、と思った。改善してよいところだろう。▼▼完璧主義的な──理想論を背景にしただけの短絡判断、を、許しちゃってるせいで、好調と自分を過信しすぎて、慢心が過ぎて、結果朽ち果ててしまう、みたいな話は、沢山聞いたことがあるけれど、ぜんぜん腑に落とせていないし、ぜんぜん続けてしまっているし、折に触れて叱咤してゆきたい、と思っているので、しよう、と思ったのだった。理解を複数回なぞらせることで深い理解に辿りつける、というよりは、わかったよー、もう聞き飽きたよー、なんてあたりから始まる新行動も、結構あって、巧い道に繋がるぜ、って、最近は思うようになってる。
▼▼稚拙であろうと陳腐であろうと下手であろうと、よい。書き続けてしまえよ、って改めて思うし、改めて呟く。訓練のほうが余程重要だろ、って判断である。▼▼評価80点文章で恰好つけてるより、評価50点文章の繰り返しで鍛えるほうが、重要、って思ってしまってよいはずだ。鍛錬により下限が上がって、訓練により平均点が上がって、結果として、恰好もつくようになるっしょ、って希望もまあ、持ってりゃあよい。
▼▼別に見せなくていいだろ? 評価50点を書いちゃったら、隠してしまえば? って指摘は無論アリである。▼▼けど、見られるところに文章を置く、ってのは、ひと味違うのだよな……。脳は「公」を意識すると変わる。誰かの眼にびびって悦ぶ。昂ぶって強い効果を示す。強化率や確率も上がる。的な経験則があるので、書くだけ書いて駄目なら隠しちゃえ、ってのは選びづらいのだよなー。絶対公表!が強くなりやすく見える。