世界は称賛に値する

日記を書きます

誰も見ていなくてもだらしない姿を見せるな的な教えのこと

▼▼素早さには癖が要される。と言うと聞こえがいいかなと思って書いた。実際要されてしまうだろう、という理解が最近はある。素早く動こうとすると思考が飛び越えられて結果的に癖が露見してくる、なんて言えるかな。習慣が活かされるようになる。だから、つまり、習慣が重要視されてしまう。▼▼なんていう「判断」が脳裡にあるだけでいろいろかなり違ってくるんじゃないかって思った。素早く動くかゆっくり動くかを選ぶ時の巧い指針になりそうだからだ。現時点現作業で必要とされている要素は何だろう、とか考える時の選択肢が的確なものになりそうだからだ。▼▼普段から粗雑な行動を控えていかねばなー、ということを、だから最近は少し考えている。凜として雅な端正を意識していこうかな、って思えているのだ。なぜなら、意識しておいて、習慣付くことで──癖付くことで──慣れ親しんでくれることで、行動時に「思考を飛び越えさせても」正確な動きが発揮できるようになるだろう、なんて姿が想像できるからだ。▼▼背筋を伸ばして胸を張り所作に配慮して動かないと駄目だ、という判断や指導の意味がわかったかなー、って想像している、のだった。▼▼武道や茶道などの「道」系の教えが見せ語る「動作や所作への厳格さ」に対する理解や認識は現時点ではこんなもので、でもって、おそらくは当然のようにまだ深みがあるんだろう、ということも想像していて、考え続けている。楽しい。