根元を楽しめると、根元から広がるバリエーションすべてを楽しめたりもするから、なんか、根元を楽しむ癖ができた

▼特性とか特徴とかを探る癖がある。探索を、発掘を、志向した視線で、ものを眺めることがある。無論、探っていたのは良し悪しではない。優劣ではなく、善悪でもない。当然損得でもない。推奨も批難も、推しも退きも興味はない。違い、だった。平均、普通、通常、一般、と、図抜けたところ、を区別する、というような志向だけがあった。見極めを求めていた。時には視線を自分に向けることもあった。で、特徴として、特性として、もしかすると、根本、根源、を、見る癖があるのかな、ということは、稀に感じていた。
▼根本的な「文字を読むこと」とかを楽しめていれば、小説だって評論だって日記だって電話帳だって楽しめるんだろうし、根源的な「身体を動かすこと」を楽しめていれば、野球も水泳もダイビングも器械体操も楽しめる。生存や実存が楽しければきっと何だって楽しいだろう。というような意味で、根本や根源を見てしまう癖がある、と認識しているわけだ。▼思考が楽しいとか思っているから、思考が絡む行為は学問だろうと囲碁だろうと脳トレだろうと対話だろうと読書だろうと楽しいし、誰かが書いた言葉が好きだとか強く思っているから、日記も小説も随筆も論文も長文も短文も好きだし、行動によって何らかの結果を残すということそのものを愉しめるから、商売に関しても「たぶん業種とか全然関係なく愉しめるんだろうな」と感じることが多い。あと、わりと「人生」が楽しい感じなので、働くことと遊ぶことの区別も、あまりつけようとしていないように思える。
▼優劣、善悪、損得、は、繰り返すが、除外している。判断するならあとでせよだ、とか思っている。運用次第だろうな、とは無論思う。とりあえず、現時点で、問題かもな、と認識しているのは、何でもかんでも「アリ」と判定しすぎてしまい結局は「浅く広く」に陥ってしまうのではないか、という箇所、と、状態を逆から言えば単に「実際的で具体的な部分をあんまり見ない癖」を持っているというわけで、存在はしているわけであり、影響は受けているわけであり、影響を見逃しているところもあるってことだから、いつか判断ミスしそうだな、という箇所、である。だから、修繕したほうがいいかも、とは、思うのだった。問題箇所を、改めて、診断して、点検して、致命的かどうか確認して、重要性を見極めて、見積もりを出しておこう、とか考えてみた。▼結局「改善」して「理想」に繋げようとするところがアンタらしい、とも思った。特性かもね、と思う。