世界は称賛に値する

日記を書きます

絶滅絶無を望む意味で、悪

▼▼善悪という基準をあまり好んでいないなあと思った。悪というものに対し、いないほうがよい、この場から失せろ、この世から消えろ、絶滅してしまえ、絶無が素敵、という宣言や強制を見て取ってしまっているところがあるからだ。人類に、人類史に、人に、不要、と言っている気分になる。▼▼いや別に、そこまで強い形状の「悪」、そういう在りかたではない「善」、を見つめながら、「善/悪」という言葉を口にしている人は、いるはずだろ、って思い直した。
▼▼というか、法的基準、法律判定的な善悪基準のみを見つめながら「善/悪」などを口にしている人は、当然いるんじゃなかろうか、とは思える。法的な善悪だけを見つめながら持ち出される「善/悪」という言葉、が、使えるなら、それはそれでよいことだ、とも思った(変なところや、余計なところを、見る癖がついてしまっている。混ざっていたら嫌だなと思って警戒してしまっている)。


▼▼多少の追記。
▼▼悪だ、っていう言葉に「存在すべきじゃない」という意味を孕ませようとしてしまうの、悪意、っていう言葉を使っている時だと、人が人に向けている害意や敵意、という狭い範囲で見ることができているので孕ませようとせずに済んでいるし、悪事、っていう言葉を使っている時なんかも、地域や個人の範囲を逸脱しない形での迷惑や被害という雰囲気で見ることができており孕ませていない雰囲気がある。悪だ、っていう言いかたの時だけ、なぜ、こんなに、おおきな範囲を見ながら言ってしまうのかなー、とは思った。