世界は称賛に値する

日記を書きます

同じ背景が君にもあるのかどうか

▼同じものを見て、同じことを思う。なんてことはあまり起こりうることではない。というのは、比較的自明のことのように思えた。だから、なにかを経験したりして「これはこうだ」と思ったり、感じたり、考えたりしたとき、まず最初に考えるべきことは、これはこうだ――と私は思ってしまう人間らしい、ということなのではないか、と思う――と私は思ってしまう人間らしい。要するに、あせって一般化しようとしない。▼最初の時点では、思考を『おのれの個人的な事情』から始めて、なぜ私は「これはこうだと思ってしまうのか」を、改めて考えてみるべきなのではないか、と思うのだ。言い換えれば、おのれの趣味を、おのれの経験を、おのれの特質を、改めて認識し直してみよう、ということである。おのれの精神や思考がどういう形状や構造を持っていて、これはこうだ、と感じさせたものはなんなのか、を、改めて捉え直してみるべきなのではないか、なんて思ったわけだ。要するに、思わせた背景をはっきりさせてみる。▼自分に『これはこうだ』と感じさせた背景がもし『全人類に共通するもの』であったならば、無論その判断は躊躇なく一般化してしまってかまわないのだろう、と思う。と考えられる。背景が本当に全人類的なものならば、すべての人間がそう感じるであろうことは間違いないからだ。しかし、これはこうだ、と感じさせた背景が、ある民族特有の性質、であったり、あくまでも個人的な経験、であったりしたならば、安易に一般化することはできないだろう、とも思う。▼要するに、同じ背景を持った人間にしか通用しない判断がたくさんあるんだ、ということを忘れちゃ駄目だぜ――と、私は思ってしまう人間らしかった。▼飲み会へと向かった。開始は午後9時半からだと聞いていた。顔ぶれは旧きアルバイト時代の友人たちだった。ものすごくひさしぶりに顔を合わせることができた。失敗して借金を負った、とか、株を始めようぜ、とか、PS3はどうなのさ、みたいな話をしていた。勢いでPS2『大神』を購入してしまった。あまりに褒められているので、もうどうにもとまらなかったのだ。