世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年7月5日(土)最初に思いつくようなものは、ぜんぶ出して、捨てて、その奥底

意外となにか感じている

ぼんやり自覚しているより、実は、自分は、いろんなことを感じている、いろんなことに気づいている、いろんなことを思いついている。自分の感性や知性を軽んじなくてよい。むしろ、自分でも驚くほど深く信頼し、手が届かないくらいの、こころの奥底まで、手を伸ばしてしまえばよい。おもしろいなにかがきっとある。種が見つかる。そして、そのためには、これ以上ないほどまでに、頭を働かせて、ぎゅぎゅっと絞っていく必要があるみたいである。典型とか形式とか常識とかを、すっかり流しきってみせ、「もうなにもないよ~」ってなるところまでたどりついてからが、始まり。あるいはチャンスタイムだ。

そういった構造があると見て取るようにはなったので(そういう構造があるんだと信じるようにはなったので)、「カラカラになるまで、まず、あたまの中にあるものを吐き出し続ける」という行為をやらないのは、"サボり"あつかいになった。少なくとも、見つけるチャンスを逃しているのは間違いない、と感じるようになった。

サボっていた

昨日も今日もサボっていたのでなんとかはしたい。考えたい、思い出したい、描き出したい話題がいま、いくつかあって、そこを、いったんカラカラにしたい。したほうがいい。それに準じて身体を動かすくらいはしてみせたい。たとえば断片的なメモを書き残し続けるくらいはしておきたい。