世界の変え方

 世界を一気に変化させる術なんてない。できるのは隣人にわずかな影響を与えていくくらいのことだけなのだ。というようなことを『世界』に対しては考えている。ゆえに、とりあえず隣人に影響を与えようと試みてみて、うまくいけばその隣人がほかの隣人に影響を与えてくれることもあったりなんかして、さらなる奇跡が起きればもっと広い範囲にその影響が拡がっていったりもする、というような状態を淡く期待して、信念を言語化しアウトプットしていくしかないんだろうな、と考えていたりもする。理想を追う、というのは結局のところそういう形でしか実践できないんじゃないか、と考えているのだ。要するに私は『ペイフォワード』的世界観を抱えてしまっているのである。おもしろいおもしろいよ世界、というようなことを頻繁に語ってしまうのは、そのためだ。おもしろいよおもしろいよと馬鹿みたいに繰り返し言っていれば、私の感じている『おもしろさ』に誰かがふっと目を向けてくれることだってあるんじゃないか、という儚い期待を抱いてしまっているのである。こうした文章を記して公開している理由もそのへんにあるのだろう、と考えている。独善じゃん、とは無論、思う。所詮は、私に『良い』と感じられるものを拡大していこうとする試み、に過ぎないからだ。身勝手だからだ。現状だとそのあたりは、もしも『私が良いと感じているもの』が『良くない』のなら、どのみち広い範囲に拡がっていったりしないだろう――誰かがどこかで喰い止めてくれるだろうさ、なんてことを期待している。まあ駄目だったらそのときまた改めて考えてみればいいんだろう、と思う。一朝一夕に『世界を輝かせられるほどの煌き』が見つかるわけないもんね、と思う。