世界は称賛に値する

日記を書きます

塵も積もれば山となる的思考

▼積み重なる微々たる差が、長期的に見れば大きな違いを生む、というモデルを認識するのが、私は苦手らしい。そういう思考的な癖がない、と言うべきかもしれない。前から気づいてはいたのだが、就職してからは、かなり頻繁にそのことを意識させられる。なぜなら、小売店の経営というのは、日々における売上を小さく上昇させていくことで、結果として、月締めでの売上に大きな差を残す、という形を取りがちだからだ。実際の構造がそういうものである以上、当然、その形を原型にして思考するのが最善なのだけど、私にそういった『日々の売上を小さく上昇させていく』という思考を行う癖がないせいで、どうしても大雑把な方策に陥りやすくなってしまっている、のである。言い換えれば、細やかな方向転換で、小さくでも売上を上げていこう、というような方向に思考がなかなか向かないのだ。そこが欠点だ。と認識しているのだから、意識すれば直せそうなものだし、実際直そうとはしているのだけど、やはりどこかにそういう傾向が残ってしまっているらしい。意識している以上、否定的にそれをコントロールし排除することで、そうでないように思考することも、確かにできてはいる。しかし、ふと思考を客観的に見ると、その視座からの前提が失われていることがやはりあって、最近の不満点はそのあたりなのだ。▼接客を軽視しがちなのも、その欠陥によるところが大きいのではないかと思う。接客レベルの上昇というのは、目に見えないし、特に人数がそれなりの数いるのなら、一人ひとりの変化なんて、微々たるものに感じがちだ。その効果も、小さく見積もることができる。しかし、もちろん、それが広がって全体に浸透すれば、効果は大きくなるし、当然、影響力も大きくなものになるだろう。▼大衆が存在しないように、お客様、というものはやはり存在せず、実際には、個々のお客さんがいるだけ、なのである。でお客さんたちは、一人ひとり、スタッフと個別に出会って、それを店として認識していく。常連客であればともかく、初めての来店であればそれはなおさらだろう。そういった場面で、接客レベルが重要にならないわけがない。だから、軽視するのは、認識不足というものなのだろう。▼私は丸井で服を買うが、あそこの粘着的な接客は好きではない。だから積極的に行きたいとは思わない。そういう変化が接客によって引き起こされる、のかな、と思う。