世界は称賛に値する

日記を書きます

繰り返し耳に入る、ための、下準備

▼▼昨日の続きというより改訂かなー。読み直してたら改訂したくなった。新人指導的な論題と言える。指導開始後の伸び悩みよりも指導一段落後に起こりうる倦怠とか堕落とかが怖いのですが回避策はどうしましょう、についての話だ。
▼▼改訂点というか、後悔どころとしては、指導する際における一言二言の説明や伝達だけで後々までずっと継続して意識し続けてもらおう──意識させるだけの巧い言葉があるのでは? 探してみましょう、っていう欲求というか期待というか「前提」がすでに無理難題の無茶振り過剰要求なのであって、駄目駄目なのは間違いなくここだ、っていう認識し直しがあって、なので認識を改めよう、と、合わせて考えていた。▼▼継続できる認識を舐めてんのかね? っていうかなー。軽々しい一言で継続してくれるような奇跡的な台詞などなかろう、って考え直してみた。時間と手間を惜しんでるだけだろって思った。
▼▼時間を掛けて伝えること──繰り返して伝えること──複数回伝えること──複数回指導対象の耳に入るようにすること──複数回納得してもらうこと。改訂と更新のたびに淡く掠れる認識を、再浮上で繰り返してもらいながら、刷り込ませてゆく。思考と認識と判断が「そこ」から始まるようにする。最初から視線がそちらを向くようにする。単発の言葉などでサボろうとしてちゃ駄目である。というか無理であろう。▼▼なんてあたりが軸なのでは、と思考を改めたのであった。▼▼繰り返し。でもって、繰り返されるであろう環境を準備してみせること。▼▼時間を掛けて繰り返せ、は昨日は視野外であった。
▼▼問題が起こりうる「理由」をあらかじめ挙げておいて、取りまとめておかないと駄目なのだろうな、なんて昨日は結論じみてみた、わけだけど、つまりそれは、同じ指導を複数回「繰り返せる」ためである、って思ってみたりした。準備として事前にまとめておくのは「同じ理由を繰り返し伝えることを可能にするため」だ、と解釈し直してみた。
▼▼単純で単調な繰り返しはまあ結構飽きられてしまう。嫌われてしまいがちだろうとは思う。慎重さや工夫は必要になってくる。から、繰り返しこそ完璧なるものである、なんてことは、まあ言えない。繰り返すことを意識するあまり駄目になってしまうような状況もおそらく増えてはしまうだろう。けど、繰り返せないよりはよい。繰り返すと「駄目になりかねない」けど、繰り返せないなら「ほぼ駄目」だからだ。断言は過言にせよだ。
▼▼複数回繰り返して伝えることが「意識してもらって憶えてもらうこと」に繋げるためのほぼ唯一の道なのである、なんていう前提を、普段から認識できていないことが単に問題の根源なのでは……? って雰囲気が出てきたなー。短慮なだけだったというか。
▼▼環境や文化や雰囲気を「変えてみせる」ことこそが解決策なのでは? って話も昨日は思っていて、まあ、前述したのと同じように「繰り返し」を軸に解釈し直せるかな、と考え直してみた。▼▼環境や文化や雰囲気が醸造されて、落ち着いたあと、普段の雰囲気の中で日常的に呟かれる出てくる言葉って、わりと「繰り返される」であろうからだ。軽視しちゃってよいよー、配慮しないで問題ないよー、って沢山の人が言ってたりするならば──皆が重視してないところです、という判断が誰からも伝えられるならば、親しんでゆくにつれて、いつしか、対象を「軽視するところ」から認識を始めるようには、なってしまうだろう。認識の前提に──認識の外側に、軽視が組み込まれてしまうだろう。
▼▼軽視しないでもらうためには理由の説明が重要なのではないか? っていうのも昨日は考えていた。という「理由説明が必要なのです話」については、前述の「繰り返しが重要なのです話」とは違う話になりそうかなー。▼▼理由の説明が必要です、って問題に関しては、おそらく、やらないのには理由がいらないけど、やるのには理由がいるから、ということが絡んでくるのであろう。正確に言うなら、楽できますよー、という判断は、構造上「理由」って位置に勝手に設置されやすいからであり、軽視してよいよー、は、おおむね最初から「楽できますよー」って「理由」を背負っているからだ。▼▼面倒とか辛苦は「排除しよう」ってだけで「理由」になるけど──なるから、排除しないで抱えようとしているなら、ほかに理由が必要となってくる。面倒や辛苦を抱えようとするなら、抱え続けるマイナスを上回るだけのプラス予測か説明が必要になってくる、なんて、現時点では判断している。▼▼排除しないほうがよいのだなと納得させうるだけの理由、を繰り返し話して、聞いてもらって、複数回「納得」してもらうことで、堕落を避けて手抜きを潰して、完遂してもらう、っていう狙いが、アリなのかなあ、とか、結局は考えている。
▼▼なので、下準備としては、納得しうるだけの理由を丁寧に挙げておいて、繰り返し話せるようにまとめておき、関係者にも浸透もさせておいて、複数回、安定した形で、指導対象の耳に入るようにしておかねばならない、なんて結論づけてみた。
▼▼問題点が混乱しているままで文章を書くと、結構「好きじゃない」って思う文章にはなってしまう。あとから読んだ時に視野の狭さとか思慮の浅さとかが見えすぎて落ち込んでしまうのだ。けど、混乱文章を踏まえて次を書くと、かなり好きなものができがちなので、文句ばかりも言えないなあ、とも思うのだった。以上、好きな思考にはなっている。