天才的な計算・記憶・発想などが人間関係を上手くいかせるか
計算する力や記憶する力がたいへん高かったとしても、人間関係がかならずしもうまくいくわけじゃないっぽいんだね、ということを、あらためて考えさせられる場面があった。友達や恋人といった人間関係(名前なんてついてない関係性のほうが主なところかもしれないが)を下地にした、自分の希望や幸福を、ちゃんと自覚し、行動できているかどうかと、計算力や記憶力といった知力は、つながっていない部分も少なくなさそう。
IQとEQで概念が線引きされている理由ってこれか~、と思った。うまく生きる力、幸せをつかむ力が、計算・記憶みたいな知性にばっかり依拠していなそうなところは、ありがたいところでもあるが、たいへんだ。
心と知の不整合
自分が心の奥底で欲しているものを、ちゃんとまっすぐ欲せるように、そして手に入るように、そして愛せるように、自分の知性が都合よく形成されてくれるとは限らない、って感じなのかなあ。形として合う合わないはありそう。高低差のバランスとかではなさそう。うーん、たとえば、プライドや美意識が邪魔してそんなものを自分が求めていると認められない(ので不幸寄り)、みたいな事態があったとしたとき、整合していないのはどこなんだろうな、とは思う。「認められない」か「気づけない」かでも話が変わってきそうだ。