理想的なものがありそうな方角
世界はこちらのほうに向かっていってほしい、人類はこういうほうに向かっていたらよくなるんじゃないか、愛や希望や幸福ははきっとこちらのほうにあるに違いない、といったイメージくらいは、まあ、やっぱりある。良く見える「方角」が誰しもにあるんじゃないかなと思う。
そして、その「方角」に向いているか、そして、その先に繋がっているか、という観点で、物なり人なりの"存在"を問い直す切り口なんかも、まあ、あってもよいんじゃないかな〜、とは思った。あってもよいというか、どうしたって、あってしまう感じ、なくしきれない感じはある。
理想像をもとに切り捨てる観点もあってもよい
(多様性や柔軟性が大切なのは前提としつつも、しかし)「オマエのようなものはワタシの望む世界には不要だ」と断じるような判断だって、ときに、あったっていいんじゃないか、とは思ったのだった。(不要だ、とまで言ってしまうと、強すぎる言い回しになってしまうので、「そぐわない」「推奨されない」あたりが実際の落としどころになると思うが)。
そんな判断、もちろん、独りよがりの決めつけだ、という"そしり"から逃れられないとも思うが、とはいえ、あっちゃいけない、とまでは言えないかなとも思う。どんな悪辣で残虐でワガママなひとも、あなたの望む世界に混ぜてあげなさい、って言われる筋合いもないだろ、って気はする。
まあでも、そこから、実際に、「だから排除する」とか「だから差別する」とかまでいってしまったら、当然、やりすぎだろ、って話にはなってしまうんだと思うけど。
「嫌う」「軽蔑する」「自分はやらない」「よくないよと親しい人には声かけする」「ときには厳しく事に当たる」と、やりすぎまでいかずとも、遠ざけかたのグラデーションなんて、いろいろあるはずだし。
ぼくが理想とする
みたいな意味合いで、ぼくにとっての理想的な世界のありようを前提に、いまの職場の文化や上司の人格は、嫌いだ、遠ざけたい、非難したい、みたいな気持ちがどうしてもあるってことを、肯定してあげてもよいのかな、って考えたしだいであった。
なんとか慣れねば、うまく馴染まねば、って考え、必死になって取り繕っているところも、正直、なくはなく、けれど、こういった観点のもとで、自分なりの理想をもとに考えることを許してもらえるなら、「無理」、と澄まし顔で言い切ってしまうようなスタンスだって、ひとつの手なんじゃないか、って思えた。そういうふうに、事態を受けとめてみてもよいんじゃないか、って思えたら、ちょっと気がラクになった。