多少は吹っ切れたかなー
職場の風土とか上司の不機嫌とかについて、ぐちゃぐちゃと、また考えてはいた。ちょくちょくここに戻ってくる。揺り戻しもあると思う。理想状態を挙げておくなら、自分のほうにしっかり正当性を「解釈」できるようになってくれれば、こんなにおびえなくて済むんだろう、と思うところはあった。とはいえ、難しい。そんなに都合よくなんでも思いこめるわけでもない。いろいろと解釈ルートを模索していく必要があった。
ヘンに期待や希望を持ってしまっていたせいというのも、なくはない、とも思う。うまく交流していけるものならそうしたかった。尽力すればうまくやれるんじゃないかと思ってもいたかった。がんばるのをやめて、評価が下がり、困窮するのだって怖かった。
けど、なんとなく、ちょっともう無理そうだな、って思える瞬間が、最近あった。仕事をがんばるとか成果を出すとか迷惑をかけないとかちゃんと気を遣うとか、まったく無関係とまでは言わないが、しかしそういったものとは別の俎上において、ただただ、相手側のそのときの気分を(不機嫌を)ぶつけられてるだけっぽいぞ、要するに、ぼく側のほうでできることにも限界があるっぽいな、と感じられてはきたのだった。
とするなら、これ以上リソースを割くのは、たぶん、割に合わない。そもそも不機嫌をぶつけているつもりもないのかもしれず、だったらなおさら、そんな表情や声色の上下に振り回されているのは、ほんとうに割に合わない。
たぶん仕事はけっこうできる人なんだろう、とは感じていたため、学ぶところがきっとある、と考え、師事するくらいの気持ちさえあったのだけど、意外とそうでもないのか?あるいは、別にここから学ばなくたってよさそうだぞ、って思えるようになってきたのが、まずある。前よりは、見限ってよさそうな範囲が広く見えてきた。
一所懸命やろうとしているおのれの精神にわざわざブレーキをかけて、その結果、評価が下がってしまったりするなら、それも別に求めていない、嫌だ(というか、未経験職種なのもあり、そんなふうに、自分が手を抜き始めたら、どこまで堕ちるか見通しがつかなくて、怖い)、とも考えたりしていたのだけど、でも、敬して遠ざけたりはしつつも、しかし最低限ちゃんとやる(なんとか投げやりにはならないくらいのところではやっていく)、といった距離感を維持できるなら、そこまで不安にならずともやっていけるんじゃないか?ってくらいのことも、思えるようにはなってきた。評価が下がり続けるほど、できていなくはない。上司やらの気分や機嫌の波を必死に押し止めながら、評価されねばならぬ、と足掻かなくても、おそらくだいじょうぶだ、って思える程度には、いちおう安定してきた。前ほど真剣にコミットしなくてもたぶん平気だと思えるようになった。結果、不安も減った。おかげで、自分のこころを優先していこうと今回は決断できた。
そしてなにより、誰かの不機嫌みたいなものに気を遣い続けながらやっていく必要、別にないんだよな〜、と、世界観レイヤーで思い直せた。立場が上だから、お偉方だから、"できている"ひとだから、といった社会適応的な理由によって、なんとなく従順な意識に支配されてしまい、忖度や遠慮までしていたところがあるわけだけど、しかし、根っこからちゃんと考えれば、別にそんなものに(会社組織の中でおこなわれる偉い偉くないゲームに)日頃から付き従わなければならない理由なんてない。自身の内面に浸透させていく必要もない。
「社長も部長も、あくまで会社というものを運営するための、便宜上の"位置"の違いに過ぎない」「会社を離れて人間と人間同士で相対するならどっちが偉いとかない(好きだとか尊敬するとか、また別の俎上に乗せて、都度、考えればよい)」っていう世界観・仕事観の話があって、ぼくも、認識の土台としては、こういった視座のもとで世界を捉えておきたい、と考えているのだけど、その望み通り、その立ち位置で物を考えるなら、「なんでこのひとの御機嫌取りしているんだ?」とは、まあ、思えてくる。少なくとも、業務のうえで求められる受け答えがまずできていればよいのであって、こんなふうに、日々、おびえている必要は、さすがにないはず、とは思えたのだった。
このひとの不機嫌に正当性なんてない。というか、ひとがひとにぶつける不機嫌が絶対的な正しさを持つことなんてない。当然、ぼくが真っ正面からそれを受けとめてあげる理由もない。
それに、そもそも、ぼくがこれだけ「動きづらい」と感じてしまっている時点で、管理職やマネージャーという枠組みのうえで言えば、うまくやれてないじゃん(正しくないじゃん)、と解釈することも可能ではあるはずで、だったら、「この人は仕事ができる人だ(だから精神的にキツくても真っ直ぐ受け止めて学んでいこう)」というのは、思いこみというか、勘違いくさかったな、とも思ったのであった。よく考えると根拠がなかった。ちょっとした盲信があった。今回はそこから脱却できた。
ここまで、こうして、ごちゃごちゃ考えてきたルートを通して、解釈しなおすなら、相対的に、「ぼくのほうにもちゃんと正当性があるようだ」と見做すことも可能になるんじゃないかな~、とは思ったしだいであった。自己弁護、自己欺瞞、自己満足なども混じってくるだろうから、バランスの取りかたは難しいが。しかし、精神的ダメージが蓄積され続けるよりは、どう考えてもマシだろう。
というようなことを、ぐちぐちと考え続け、結果、なんかかんだよい気分になった昨日今日であった。そこそこよい日々だったと思う。吹っ切れたといえば吹っ切れた。きっとまた、うじうじ考える日も来てしまうんだろうが、まあよい。上に行ったり下に行ったりできるなら、それだけでも悪くない。