世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年01月10日(水)間を作った

なまなましくない

なまなましい今日を描写するのと、ひと段落した三日前を思い返すのでは、やっぱり、言葉の質感が変わる。内側(現場)からなにか言うのと外側(観測)からなにか言うのの違い、というふうに見なすことも、たとえばできそうかな。またむろん、ほかの見なしかたもあるだろう。距離感が違う。あるいは捏造度が違う、とか。読ませてもらったときにぼくが好きだと感じる情緒豊かな文章は、「今」「勢い」「いきいき」「鮮度」「内側」「現場」「一人称」「進行形」といったものらの印象が強めだなとも思った。落ち着いて言葉が出てくるのを待つ癖はある。このときの「間」が勢いを殺していそうな気もした。いきいきした情感豊かな文章をあまり書けていないような自覚である。苦手というよりは、素直に書くと、勢いを殺しがち、な気はする。