世界は称賛に値する

日記を書きます

送別会2回目

▼▼最近は送別会が続いている。まだ続くかな。最低でもあと二回は予定線上にある。嬉しい近況とは言いがたいと思う。別離を積極的に好んではいないし、いくらか人員不足の嫌いもあるし、日程調整的な難しさも同時に起きていたりする。
▼▼勤務帰りに顔を見せた。祝宴と送別を兼ねたケーキが準備済みで、素敵だったし、確かに美味しかった。美食知識に対する憧れはまだあるなー。楽しそうな知識だよなって思う。送別相手に関しては、情報があまりなかった。趣味嗜好を知りうるような親睦交流を持つ機会があまり持てなかった、のだった。軽い特異印象はあって、いずれは詳しく話を聞いてみよう、なんて後回しにしてしまっていた、ら、別離、的な顛末だ。なので後悔はあるかな。むしろ送別会で話してしまえ、と思ったりもしたけれど、騒がしくて遠くて好機を見出せなかった。普段話せない人と話せたところはあったのでよしとする。
▼▼最近は「好き嫌い系気遣い」要素が目立ってる印象があるかなーと思う。頻繁に見かけてる。談笑中も若干見立ててた。あるいは、目くじら立ててるのだろう。
▼▼好き嫌い系のわだかまり──気遣いが混じる対話中は、解決欲や解消欲を持ち始めてしまう場面も多くて、つまりは干渉が習慣づいてるってことであって、結果、身勝手な出しゃばりに繋がりやすい──独善的な出しゃばりに繋げてしまいそうで、怖がってる。調整と自重は考えておいたほうがよいな、と考える癖も、同時に習慣づいてる。
▼▼援護的な声かけと目線を向けてもらえるだけで不満と緊張が緩和できる場面って、確かにあって、ゆえに、経験則的に信奉もしてしまってて、縋りすぎなのだと思う。理解があって、気持ち助かる。という状況に数回救われてて、だから、少し頼りすぎてる。
▼▼経験則的信奉からの軽薄な干渉欲を危ぶんでいる、のだった。
▼▼思考が軽いことと行動が軽いことを混同してるなと思考を改めた。気遣うことを軽く考えてて、軽い声かけをしてしまう、を、軽く考えてるから行動が気軽いんだよ、と認識し始めていた、のだった。違うな。思考が真剣で神妙で慎重で、けど、行動は気軽いほうが届きやすいから気軽い、ということはある、し、比較的よい調整でありうると思う。