世界は称賛に値する

日記を書きます

土曜日の始まり

▼▼初めてと二回目じゃ全然違うものなあ、と思う。なので、行動や現象の繰り返しは問題意識を変えていくだろう、とも思う。判断基準だって調整どころだって変わる。時間を経て──歳を重ねて、情報や経験の増量によって、人生訓や思想ややりかたが変貌し変質していくのは、当然なんだろう。▼▼世界観に格差がある、なんて言える。▼▼初めての接触と二回目の接触の雰囲気や緊張や難度の違い。が、君と僕の間でいくらでも存在するので、同調も共感もしきれないところはある。なのでどうしましょう、が開始地点かな。

出逢えた言葉達だと認識しています。おすすめもしたいけど、むしろ忘れたくない記録。

→ 「いいとこどりしたいからとか人間関係建前だからとかそういうことでなく、ネガティブと付き合うのがむずかしいから人はポジティブで繋がろうとするのだ」

→ 「「文学性」なるものの起源とはなんだろうって考えるとき、いま思っているのは「単純な発話」からどれだけ乖離しているのかということ。つまり発話の単純性が破れるところに文学性が現れるのではないかということ(単純性の破れと言うと、対称性の破れみたいで、なんだか字面がカッコイイのだ)」

→ 「他にも、ひびのこづえのノート術がユニーク。彼女はノートを「真ん中から使う」そうだ。両サイドに描き進めることができるからというのが理由だが、そうすることでアイディアは、一方向から二方向になる」

→ 「自分の優先パラメーターが何なのか(=自分にとっての判断基準って何なのさ)ってのを見つけるのが大事なんだな、と思いました。他人の基準で生きてると、「早く着くけど混んでる電車」に乗って生きなければなりません」

→ 「B「ぜんぶ勘で言ってるでしょ!」 A「僕の勘は当たる!」 B「当たってないよ!」 A「……む、むう、でも、『時間をすべきことで埋め尽くそうとする』も、『時間がかかることを嫌がる』も、正しいと僕の直感がいっている、けど、君をまるめこむ理屈を思いつかないので、保留にしておいてください!」

→ 「あと、日本だとそういう「思想」の領域がオカルト扱いされてしまうせいで、「科学」に思想的な役割まで担わせるような感覚が働きがちで「科学の思想化」を引き起こしやすいきらいがあるかと。科学が命令の権限を強く発揮することで、権威化を引き起こし、権威を巡って科学が「べき論(あるべき形)」と下手に混じり込み、適切な現状認識を困難にさせる」